ちばあきおを憶えていますかを読んで

ちばあきおを憶えていますか 昭和と漫画と千葉家の物語 千葉一郎 集英社

老眼が進んできた数年前までは、ちばあきお作の「キャプテン」か「プレーボール」を読まないと眠れなかった。枕元には、どちらかが必ず置いてあり、何度も何度も繰り返して読んだ。きっと500回以上読んでいると思う。

今までに、普通の単行本からハードカバー、文庫本タイプとたくさんのタイプが出版されているので、その都度買って本棚に並べてある。旅行に行く時も、文庫本タイプの小さなものを必ず持っていった。無いと眠れないのである。

ちばあきおさんは、私の中では、神様のような存在。

「キャプテン」に出会ったのは、昭和50年。静岡から津に転校して、友達もいなく寂しい時に、学級文庫に「キャプテン」が置いてあって手に取ってみたのが最初だった。静岡の千代田小学校の時の担任の先生は、本の虫。毎日100ページ読みなさいと言われていて、漫画などは到底許されなかった。津の育生小学校4年5組では、学級文庫に漫画が置かれていたのである。先生公認で学校で漫画が読める。ただ、キャプテンしか置かれていなかった。だが、それがよかったのであろう。

手に取ってみると、意外に面白く、野球好きでもあったので、ぐいぐい引き込まれて行ったのを覚えている。それから、月刊少年ジャンプに「キャプテン」が、週刊少年ジャンプに「プレーボール」が連載されていることを知り、毎週、毎月、楽しみにしていたことも覚えている。

ちばあきおさんが大好き過ぎて、年賀状や暑中見舞いも送っていた。その当時の漫画家はみんな返事をくれた。「エースをねらえ!」の山本鈴美香さんは、主人公 岡ひろみが着物を着ている姿を描いて直筆サイン入りで送ってくれた。ちばあきおさんは縁側で谷口とイガラシが将棋を打っている絵を描いて送ってくれた。私は転居をたくさんしているので、もうその年賀状や暑中見舞いはどこにもない。今でも心の宝物である。

ところが、ある日新聞にちばあきおさんが自死されたと載っていた。子ども心にとてもショックだったのを覚えている。キャプテンやプレーボールも絵が突然乱れたり、ストーリーが歪んでしまったり、苦しんでいらっしゃったんだろうなと感じざるを得ない。アルコール依存症との戦いもあり、精神を病んでいたことが、この本を読むとよくわかる。

この本は、長男でちばあきおプロダクション代表の千葉一郎さんが書いている。彼が9歳の時に亡くなっているのであまり記憶にないと書かれている。ただ、漫画執筆にかけるときの情熱や苦しむ姿はとても印象に残っているそうだ。

https://www.chibaakio.jp

単行本が発刊されてからも、自分の作品に赤を入れるくらい思い入れが大きかったようだ。いつでも自分の作品に向き合う態度は真剣で、いい作品を仕上げようとする気持ちは大かったようだ。

「キャプテン」、「プレーボール」にはバグが多い。編集者やアシスタントが気づかなかったのだろうか。それを指摘するサイトが実に多い。特に、半田や鈴木の学年が1年下がってしまった問題はいろんなサイトで囁かれている。右利きが左利きに描かれていたり、謎の人物が試合中のマウンドにいたり。

ネターランド

http://neterlands.web.fc2.com/index2.html

ジャン・エバラの焼き肉研究所 

https://ameblo.jp/jeanebala/entry-12596073666.html

満州で生まれ、日本に引き上げてきてから、夜間高校に入学して工場で働いたり、手先が器用なことからいろんな工作を趣味でしたり、運動神経もずば抜けてよかったみたいで、野球をずっと続けたり、お兄さんはかの有名な、「あしたのジョー」を描いたちばてつやさんなので、お兄さんのアシスタントとして作家の業界に足を踏み入れて、漫画家としてスタートを切ったり、本当に波瀾万丈な人生だった。

かなり遅筆だったようだが、キャプテンとプレーボール、月刊誌と週刊誌の連載を持つということはどんなに大変だったろうか。背景もアシスタントに任せないでご自分で描かれていたようである。最初はスクリーントーンも使わずペンで背景を描いていたそう。こだわりがすごい。素人から見るとあまり上手な絵とは感じないのであるが、「プレーボール2」でプレーボールの続きを読みたい読者の要望に応えたコージー城倉氏によると、「あの絵は真似できない。微に入り細に入り丁寧に描かれていて、ストーリーはもちろん素晴らしい絵である。」と語っていた。

これからも多分一生キャプテンとプレーボールとはお付き合いが続くのではないかと思う。それくらい私にとっては大切な出会いであった。

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