everybodyやeveryoneを受けるのはtheyである

英語教育5月号 (May 2020 Vol. 69 No. 2) pp.64-65の青山学院大学名誉教授 本名信行先生の「ダイバーシティ・マネジメントの課題ージェンダーにまつわる表現を例に」を読んで

 闇雲に英語の表現をたくさん覚えて、相手の言っていることを聞き取り、相手に伝わるように話し、コミュニケーションさえしっかりとれればよいと考えている英語学習者は多いのではないか。かく言う私もそんなタイプだったかもしれない。しかし、英語を使用する人たちの背景も考えながら学習を進めていくことは肝要である。

 多様な民族・文化的背景を持つ人々をどう受け入れていくかと言うことは、「包括的対応(インクルージョン)」と言う。アメリカの大学では、その対応の一環として、「アウェアネス・トレーニング」が行われ、ことば、動作、環境などが個人、集団に対して、「目に見えない侵害 (micro-aggression)にならないよう教育している。

 日本と違い、マイノリティに対して、「努力すれば誰もが成功できる」と言うのは適当ではなく、「ガラスの天井」が社会や組織の至るところにあり、それは、「目に見えない無力化 (micro-invalidation)」を生む恐れがある。

 everyoneやeverybodyをtheyで受けることは非文法的とされてきたが、heやsheで受けるのも不適当であることから、堂々とtheyが使われている。political correctnessの立場から、mankind→humanity, human beings, people, humankindなどへの変換もある。

 ことばは社会の意識を反映し、それが変われば、ことばも合わせて変化する。英語の勉強では、表現や語句を勉強すればよいというだけでなく、それらを使う人々の考え方や感じ方も含めて勉強することが大切である。現代のグローバルコミュニケーションでは、多様性を受容し、適切に表現する態度と能力が必要である。

 ことばは私たちが物事を見る目になるのである。

 「包括的言語」とは、すべての人を包み込む言い方である。それに対して、「排他的言語」とは、意図的かどうかは別にして、特定の人々を除外する言い方である。

 いずれにせよ、自己の尊厳を守り、他人に敬意を表すことは、人々の出会いと交流では欠かせないことである。