「世の中と足並みがそろわない」ふかわりょう 新潮社
ASD傾向のある私は、人と歩調を合わせるのが非常に苦手である。なんなら、ASD傾向ではなく、診断が下りていないだけで、ASDだと思う。ASDだから、これまで非常に生きづらさを感じてきた。ASDと分かっていたら、たとえASD傾向だとしても、もう少し自分の生き方をコントロールできたかもしれない。
人と歩調を合わせるのが苦手である。集団で行動しなければならないときは、集団で行動できるように演技する。しかし、苦痛だ。自分のやりたいことができないし、やりたくないことをやりたくないときにしなければならない。やりたいときに、やりたいことをしたいのだ。人と話すのも結構面倒である。だから、1人で行動していいときは1人で好きなように行動する。誰にも邪魔されない素敵な時間である。
人と同じように考えることもできない。やや批判的に斜めから物事を見るのではない。いろんな方向から見てしまったり、裏側をまず見てしまったり、そんな方向からは普通は見ないという方向から見てしまう。みんながいいというものの半分くらいはいいと思えないことがある。その逆も然り。
ふかわりょうさんの著作も同じ。
どうしても世間と歩調が合わせられない作者。5人で車2台で出かけても、ふかわさんだけ1人で1台、あとの4人が1台。めちゃくちゃ気持ちがわかる。狭い車内で2人きりにされたら、苦痛のなにものでもない。車で2人になれるのは、酔ったときと、家族といるときだけである。
印象に残った部分は、「隙(すき)」について。人間、完璧にしたいという人はいるが、あまり面白みがなくて、人はついてこない。いい意味で、「隙」のある人は魅力があるという話。
怠惰であるという意味ではなく、どこか少し抜けているくらいが適当で、接しやすいということ。
「友達100人できるかな」の歌についても、同感できることが書いてあった。友達はたくさんいた方がいいのだろうか。ふかわさんは、どんな友達かによるということ。私も友達が少ないが、とても深い繋がりがある人ばかりなので、浅い付き合いの人が何人いても仕方がなく、お互い影響を与え合って、切磋琢磨できる友達が2〜3人いればそれでいいような気がする。
一人焼肉、一人旅、色々1人を際立たせるような表現が、SNSに出てくるが、1人は決して珍しいことでも悪いことでもない。「旅は1人に限る。」とは、ふかわさんの言葉である。1人ではないと、連れと話ばかりしてしまい、旅の中での接触が薄くなってしまう。感動も薄くなるだろう。
世間と歩調なんか合わさなくてもいい。時代が変われば、またその歩調は勝手にずれてくる。元々ずれている私は、そのうち、時代がずれてずれてずれて、私に合わせてくれる時代が訪れると信じている。