「東京奇譚集」村上春樹を読んで

「東京奇譚集(とうきょうきたんしゅう)」村上春樹 新潮文庫

2005年に出版された短編集。「偶然の旅人」、「ハナレイ・ベイ」、「どこであれそれが見つかりそうな場所で」、「日々移動する腎臓のかたちをした石」、「品川猿」の5つの短編からなる小説。

私は、大したことない、「ハルキスト」である。村上春樹を詳しく論じることはできないが、村上春樹の小説は大好きだ。どれだけでも集中して読める。面白くて仕方がない。短編も十分満足させてくれる内容が多いが、かといって、長編がダメなわけではなく、テーマが壮大で読み応えがあるものが多い。

出会った女性が深い関係になりながらも、突然ふっと消えてしまう物語が多い。そのまま関係が続けばいいのに…と期待するが、必ず結末は消えてしまう。別れるのではなく、消えてしまう。このパターンが多いので、消えてしまうのではないかとハラハラしながら読むが、やはり消えてしまうのである。この味わいが読後はぽっかり心の中に穴が空いたような感じになってしまう。「あの場面で主人公はこうすべきだったのでは…」と何度も読み返してしまう。

いつものように、ネタバレになるので、あまり内容に踏み込んだことは書けない。

「ハナレイ・ベイ」の女性の生き方がとても素敵である。同じ子どもを持つ身として、同じ場面で同じことができるかなと考えてしまう。

「品川猿」がとても印象的だった。

本が終わってしまうのが悲しいくらい、あと何ページしか残っていないと焦りが来てしまうくらい、ずっと読んでいたい。この本もそのもの。かなりおすすめである。

「幸せになる勇気」を読んで

「幸せになる勇気 自己啓発の源流 アドラーの教えI」 岸見一郎 古賀史健 ダイヤモンド社

アドラー心理学の概要を知るために、読んでいる。「嫌われる勇気」に続く続編。この「幸せ」は、「嫌われる」の内容をたくさん含んでおり、忘れかけていた部分も思い出させてくれていた。

「三角柱」の話を少し前にブログに書かせてもらったが、それもこの本に書かれていたものだ。

課題の分離 自分の課題と他者の課題に切り分けること。そして、他者の課題には踏み込まないこと。「あなたは他者の期待を満たすために生きているのではない。」「他者もまた、あなたの期待を満たすために生きているのではない。」「その選択によってもたらされる結末を、最終的に引き受けるのは誰なのか?」

アドラー心理学の掲げる目標 【行動面】①自立すること ②社会と調和して暮らせること 【心理面】 ①私には能力がある、という意識 ②人々は私の仲間である、という意識

他者の関心ごとに関心を寄せること。これは、教育で言うと、ただ「子どもたちの関心ごと」に関心を寄せること。そして、これは、あらゆる対人関係で求められる、尊敬の具体的な第一歩である。「共感」を持つこと。共感は他者に寄り添うときに必要な技術であり、態度である。

臆病は伝染する。そして、勇気も伝染する。

「いまの自分に満足していない」 いまの自分に満足していないと、過去の辛い経験を持ち出して、理想に自分には程遠い「いまの自分」を正当化している。

 「人を叱ってはいけない(褒めてもいけない)」人を叱ってはいけないのは、「それが悪いことだと知らなかった可能性があるから」。知らないことは教えるだけ、そこに叱責の言葉はいらない。褒めてはいけないのは、良いことだと知ってやるのではなく、褒められるからするという思考に陥ってしまうから。

問題行動の「目的」第1段階「称賛の欲求」褒めてくれる人がいなければ適切な行動ができない、または、罰を与えてくれる人がいなければ不適切な行動を取るというライフスタイル(世界観)を身につけてしまう状態。第2段階「注目喚起」褒められなくてもいいから、とにかく目立ってやろうという状態。いいことでも悪いことでも目立って注目を引こうとする。第3段階「権力争い」「反抗」「不服従」大人に権力争いを挑んでくる。ただ不服従や反抗を決め込むことで、自らの「力」を証明したい。そのような場合は、すぐさま彼らのコートから退場する。反抗や不服従に対する叱責はその叱責のボールをまた反抗や不服従で返してくる。とにかくその場から退場すること。第4段階 「復讐」もっと注目して欲しいとなりそれが叶わないとなると、人は一転して「憎しみ」を求めるようになる。そうなると、正面切って戦うことを選ばず、「悪いこと」をするのではなく、「相手が嫌がること」を繰り返す。第5段階 「無能の証明」「これ以上私に期待しないでくれ」「私を見捨ててくれ」という状態で、大人が手を差し伸べれば述べるほど、極端な方法で「無能な証明」をしてくる。こうなると、専門家の手を借りないと収束できない。この問題行動5段階のすべては、「所属感」、つまり「共同体の中に特別な地位を確保すること」という目的に根ざしている。精神的も物理的にも安心安全な居場所づくりを学校やクラスにしてやることが最優先であることがわかる。心の居場所づくり。役割を与えてやることも大切。

幸福の本質は、「貢献感」である。「先生のおかげで無事卒業することができました。」と感謝を求めるのはおかしい。自分の力で成し遂げたと思えるように、環境や方法を伝達し、援助してやることこそ教師の役割である。自分の人生や日々の行いは全て自分で決定するものだと教えることも。

共同体は褒賞を目指した競争原理に支配される。「褒められること」が優先される共同体には、競争が生まれる。我先に褒められたいし、リーダーの寵愛を独占したくなる。学級全体に競争原理が蔓延することに問題がある場合がある。その場合、共同体そのものを治療する必要がある。賞罰をやめ競争の芽を一つずつ摘んでいくこと、学級から競争原理を失くしていくことが必要である。競争原理を優先する「縦の関係」を排除し、協力原理を優先する「横の関係」にしていくこと。これはアドラーでは、「民主主義の心理学」という。

アドラー心理学では「承認欲求」を否定する。他者から認めてもらうことを願うばかり、他者の要望に沿った人生を生きることになってしまう。他者の人生を生きくることになってしまうから。

「依存」と「自立」自分の価値を他者に決めてもらうことを「依存」と言い、自分の価値を自ら決定することを「自立」と言う。「普通でいることの勇気」が足らないと、他者からの承認を欲求してしまう。「人と違うこと」に価値を置くのではなく、「わたしであること」に価値を置く。

叱ってもいけないし、褒めてもいけない。叱ることや褒めること、すなわち賞罰は子どもの「自立」を妨げる。叱ることはお互いの「尊敬」を毀損することになる行為であり、怒りや叱責は、それほどのコストの低い、未熟で暴力的なコミュニケーションの手段である。褒めると集団の中に競争原理が生まれ、褒められることしかしなくなる。「他者は敵である」というライフスタイルを植え付ける。賞罰とは、子どもを支配下におこうとする行為であり、それに頼る大人は子どもが自立することを恐れている。「いつまでも子どもであってほしい」それゆえに賞罰で縛り付ける。

「すべての悩みは、対人関係の悩みである。」仮に宇宙に自分1人だけだったら、悩みは起こらない。逆に、人間関係の喜びも対人関係から生まれる。

「信頼」とは、一切の条件をつけずに相手を信じること。「信用」とは、条件付きで相手のことを信じること。

利己心を追求した結果、利他につながる。他者貢献につながる。誰1人として犠牲にしてはいけない。どんな仕事に就くのかが問題ではなく、どのようにその仕事に取り組むかが問題である。

尊敬とは、「その人をありのままに見ることである」、そして、「その人がその人であることに価値を置くこと」である。他者のことを信頼できるか否かは、その他者を尊敬できるかどうかである。

不可分なる私たちの幸せを築き上げること。わたしの幸せではなく、あなたの幸せでもなく、私たちの幸せを1番に考えること。私たち2人が幸せでなければ意味がない。利己的でもあり、利他的でもある。本当の愛を知った時、「わたし」だった人生の主語は「私たち」になるのです。幸福なる「生」を手に入れるためには、「わたし」は消えてなくなるべきです。

自立とは自己中心性からの脱却である。自立とは子ども時代のライフスタイルから脱却することである。

一般的に末っ子は、家族の誰とも違った道を選ぶ。第一子は、「過去の崇拝者」となり、保守的な、未来の悲観的なライフスタイルの形成者となる。第二子は革命を起こす。一人っ子の場合、母親を独占したいので、父親をライバル視し、マザーコンプレックスになることが多い。単独子しか持たない夫婦の多くは、人生に臆病で、悲観的である。家庭内の雰囲気も不安に満ちており、たった1人の子どもに過大な重圧をかけ、苦しめることになる。

誰かを愛するということは、単なる激しい感情の表出ではなく、自らの決意、決断、約束である。そして、結婚とは「対象」を選ぶことではなく、自らの生き方を選ぶのである。運命とは自らの手で作り上げるもの、運命に踊らされてはいけない。運命は自ら求め、運命の主役でなければならない。

踊ること。「いま」をダンスする、。ダンスのことを「2人の人間が共同の仕事に参加する遊び」である。今日という日の幸せを、いまという瞬間だけを直視しして、クルクルと踊り続ける。そばにいる人の手を取り、いまの自分にできる精一杯のダンスを踊ってみる。運命は、そこから始まる。

我々は他者を愛することによってのみ、自己中心性から解放される。他者を愛することによってのみ、自立を成し得る。そして他者を愛することによってのみ、共同体感覚にたどり着く。愛を知り、「わたしたち」を主語に生きるようになれば、変わる。生きている、ただそれだけで貢献しあえるような人類の全てを包括した「わたしたち」を実感する。「愛し、自立し、人生を選べ」

前作にも、「ダンスをする」という言葉が登場する。「いま」をダンスする。

前回は全くイメージできなかったが、今回はなんとなくイメージできている。

何が起こるかわからない毎日において、「あ、こんなことがあった。嫌だな。明日からもこんな嫌なことが続くのかな!?」「もうすぐ〇〇が終わる、終わると楽になるかもしれない。」

起こってしまったことは過去のことで、もうどうやっても取り返しがつかない。そんな取り返しのつかないことに一喜一憂しても仕方がない。これからどうするかがとても大切。三角柱の話と一緒である。

まだ起こってもいない未来のことを悲観的に考えることもどうしようもないことである。楽観的に考えるのも変。

いま目の前にあることに対して、一生懸命取り組むことが最も大切であるということが、「ダンスをする」ということではないだろうか。しかも、柔軟に取り組むこと。目の前のことは、自分の対応の仕方次第ではいかようにも変わっていく。素敵な軌道が描けるように柔軟に「今起っていること」に取り組んでいくことが大切。

ロイロノートでオンライン授業を作ってみました

9月1日から2学期が始まったが、午前中は45分4限の短縮授業。給食を食べて放課。帰宅してから45分×2限のオンライン授業。オンライン授業のやり方は各教科ともバラバラ。プリントをPDFで配り提出させる教科もあれば、zoomを使って双方向の授業を展開する教科もある。

英語は、実技教科らしく、英語力がつくようなオンライン授業を作れないかと思案し、試行してみた。

ロイロノートはほとんどの教員が使っている。本当に便利なアプリケーションである。学校の仕事用のPC、タブレットだけでなく、スマホや個人用のタブレットからでもログインできるので、家で作成ができ、便利である。

画像、映像、音声、WEB、地図、文章、手書きの文字や絵なども使いながら、それらを矢印で繋げることで、「流れ」ができる。

↓はロイロノートの大まかな使い方がわかるYouTubeの番組である。

私はこの4月からロイロノートを使い始めたが、全くついていけず、ロイロノートという言葉を聞くことにすら抵抗を感じていた。しかし、給食の「黙食」支援のために、委員会でお昼の放送を作ることになり、思案した結果、ロイロノートの付箋に録音して流すという形式に落ち着いた。その番組を手探りで遊び感覚でやっているうちに、スイスイできるようになってしまった。やはり、「習うより慣れろ」である。あんなに怖がっていたロイロノートなのに。

こんな感じで授業を作ってみた。

1回目の授業の振り返りを見ると、「音素カードの練習が15分近くあり、大変だった。」や「テーマ英会話は咄嗟に言わなければならなかったから、もう少し前にテーマを予告しておいてほしい。」という要望があったので、少しマイナーチェンジしておいた。2回目は軽い内容になったが、この程度が限界かもしれない。

提出状況を見ると、1回目より2回目の方が提出者も多いし、提出内容もいいので、2回目くらいの分量が良いのかもしれいない。今回は2回とも1学期の復習であるが、これから進めていくとなると、どのような授業がいいのか、また考えていかなければならない。

英語教育8月号を読んで

英語教育8月号 大修館書店 August 2021 Vol.70 No.6

第1特集 ことば✖️内容で学びを深める CLILをヒントにした授業づくり 第2特集英語との古くて新しい付き合い方 英文解釈のススメ

ICTを活用した小学校でのCLIL授業ー「日本の米料理紹介」実践 中田葉月(寝屋川市立第五小学校教諭、大阪教育大学非常勤講師)

「Quizlet」や「Kahoot!」そして「Word Wall」などのオンライン学習ツールを語彙の学習に使用します。

https://quizlet.com/subject/ Quizlet

https://kahoot.it/ Kahoot!

https://wordwall.net/. Word Wall

類似教育法との違いと日本でのCLIL実践 池田真(上智大学教授)

CLILには2つの種類が存在する。一般教科教員が担当科目を英語で教えるハードCLILと、外国語科教員がテーマやトピックを英語で教えるソフトCLILである。

英語の文字の指導法 手島良(武蔵高等学校中学校教諭、日本女子大学非常勤講師)指導の実際(1)

アルファベット順に書かせるより、筆法によっていくつかのグループ(letter family)に分類して、字形の類似性に着目させつつ、共通する運筆を習得させる方法。⑴ l,i,t縦・横の直線(+点)からなる文字 ⑵ z,v,w,x,(y,k) 縦・横・斜めの直線からなる文字 ⑶ c,e,o反時計回りの長円(の一部)を含む文字 ⑷ a,d,q,g反時計回りの長円と縦棒からなる文字※長円が先で縦棒が後 ⑸ u, y 反時計回りの下向きのこぶを含む文字 ⑹ b, p 縦棒と時計回りの長円を含む文字※縦棒が先で長円が後 ⑺ n, m, r, h, k 時計回りの上向きのこぶ(の一部)を含む文字 ⑻ s, f, j その他 練習の際に大切なのは、同じ文字を繰り返し(左から右に)欠かせない、ということです。この4文字が同じ筆法かつ筆順で書けるということを理解させたいのですから、この4行を上から下にa→d→q→gの順で書かせます。もう1つの注意点があります。それは、一度に書かせる回数を、上から下まで3回程度にとどめる(つまり、a→d→q→gを3回程度)ということです。同じ文字を右に向かって繰り返し何度も書かせると、生徒は飽きてきます。また、早く終わらせようとして、右にいけば行くほど字形が崩れます。字形が崩れます。

今月の時事英語

ハイジャック(hijacking)の語源は、禁酒法時代のアメリカでウイスキーを積んだトラックを止めて、”Up high, Jack”と命令したからという。

現場のお悩みQ&A 「振り返りシートを評価に生かす問いかけの工夫」大脇裕也(大東市立北条中学校教諭)

自己調整(児童・生徒が、学ぶ過程でどのように変容していったか)を看取るため。問いかける項目としては、①「今日の授業で学んだことを後輩に教えるとしたら、どんなことを教えますか。」②「今日の授業への取り組みについて『よかったところ』と『反省点』を先生にアピールしてください。」③「授業で、『これはできるようになった』と自信を持って言えることは何ですか。」④「友だちとの会話の中で『なるほど!』と思えたことは何ですか。」さらに、「今日の発表のレベルをさらに上げるためには、何ができますか。」「相手に伝えるために1番意識したことは何ですか。」をプレゼン後に書かせるといい。「1ヶ月後の自分の振り返りシートを見返したときに『この時間ではこういう学びをしたな。』と理解できるように、具体的に書きましょう。」と伝える。今までの私の振り返りカードの問いかけ(自由記述の上にどの項目について書くか✅を入れる)を反省した。

授業改善へのヒント 「フラッシュカードを使った新出単語の学習ー文教大学附属中学校授業からー」阿野幸一(文教大学教授)

少人数の授業であれば、ここの生徒に対応しながら、紙のフラッシュカードを使用した方が、生徒との心理的な距離を近づけての練習ができるかもしれません。どうも、デジタル教科書(教師用)のフラッシュカードは申し分ないほど便利なのだが、生徒が乗ってこない。居眠りを始める生徒もいる。私のやり方も悪いのだろうが、髪のフラッシュカードの方が、手応えもああり、効果もあるように思う。

自然に授業に参加させるための工夫 上本晋之(四条畷市立四條畷中学校教諭)

人は自分の頭にためてある音を使おうとします。咄嗟に単語が言える、言えない、の差はそれまでにどれだけ声に出してきたか、その積み重ねの厚さの差だと言えます。

指導の当たり前を疑う 「文法定着のためのアクティビティー」って必要? 奥住桂(帝京大学講師)

キーワードは「シンプルに」「何度も」  個人的なお勧めは、シンプルなパタン・プラクティスです。ただし、「たくさん繰り返すことで意味が生まれる」ことが、ポイントです。例えば比較級の練習としては、中学校で学習する9教科をトーナメント表にして、どちらが面白いか(難しいか)などをペアで質問試合、相手にとって1番◯◯な教科を探り合う活動があります。また現在完了の練習としては、自分のちょっと恥ずかしい失敗(例:田んぼに落ちた)を聞き合って、最終的に円グラフを作成してクラスの傾向を明らかにするよう活動も盛り上がります。どちらもシンプルながら「繰り返すことで意味が生まれる活動」で、勝ち負けとは違うレベルでの達成感が味わえると思います。本当の意味で使わせる場面は、後々にしっかり設定しておくほうが賢明です。

授業力は「書く力」に比例する 教師のための綴り方教室から 第5回 第2章「要約力を鍛える」① 「引き算思考」をすれば授業が生まれ変わる 中嶋洋一(関西外国語大学教授)他2名

児童生徒がゴールを目指し、アクティブに学んでいる授業では心を鷲掴みにされる。要約とは、活動の「目的」に照らし合わせ、「不要なかたまり」を見つけて、思い切って削ることである。「目的」とは、学習指導要領、児童生徒理解、教科書や教材のねらい等である。それらの本質を正しく理解しないと「要約」はできない。例えば、欲張って詰め込んだ活動の「時間」だけ短くして、一通りやろうとするのは誤った要約である。「要約」とは、本質に気づいて無駄(多くは自己流)を省く、生徒に任せる部分を用意する、関わり合う時間や活動をどうコーディネートするかを考えるということだ。それができてくると、授業で「余白」(児童生徒に委ねる時間)や「間」(思考する時間)を大切にするようになる。要約力を身につけるための「羅針盤」になるのは何か。それは学習指導要領と教科書のTeacher’s Manualである。

ポイントは学んだことを、「活用」させることだ。「応用」と「活用」は違う。知識や公式を使って、他に当てはめるのが「応用」、一方、「活用」は、新しい局面で、今まで習得した知識、技能を組み合わせて、自分の力で問題を解決する。「without…ingを使って英文を書きなさい」という課題は、教師が言語材料を指定しているので「応用(練習)」である。これが「片想いの相手に勇気を出してラブレターを書くことにした。自分の気持ちを何とか相手に伝えなさい。」という課題なら、生徒はI can’t spend a day without thinking of you. とかI always look at you without saying a word.という英文を自分で考える。これが「活用」である。教師が責任を持って「何のために」といったコミュニケーションを行う目的を当て、写真やイラスト、さらには「場面」を用意する。つまり、言語使用の必然性を追求することが「思考・判断・表現」の鍵になる。

Deep Culture Insights5️⃣ The Oz Moment. (Joseph Shaules 慶應義塾大学教授)

This feeling of discovery and amazement is called the ‘Oz Moment’. It often happens when we first arrive in a foreign country and notice how different things are. Memorizing facts does not change us. Experiential learning, however, engages the intuitive mind and has a deeper impact. As educators, we need to understand the intuitive mind and how to creat Oz moments in the classroom.授業中に、Oz momentsを味わう瞬間を意図的に作り出すにはどうすればいいのか。映像で教材に関連あるauthecticなものを見せたり、ALTにたくさん話してもらったりすることかな。

授業に活かせる基礎英語講座③ 2項動詞に見られる自/他動詞のゆらぎ(澤井康佑 文筆家・英語講師)

suffer ①(肉体的に)苦しむ;[SV from O]<病気など>にかかる、かかっている;<傷など> ②<人が>(人・もの・コトのために)(精神的に)苦しむ、悩む;(人・商売などが)(・・・で)困った目にあう、痛手をこうむる(from, for) ③<人が><苦痛など>を経験する;<損害など>をこうむる、受ける>をこうむる、受ける

高校3年間のスピーキング力の発達を探る 第5回 学習環境と発話の発達を考慮した指導 (阿部真理子 中央大学教授 藤原康弘 名城大学教授)

たくさん話せるようになるためにbecauseとsoを使って見るのは良いコトです。「結論+because(理由)+So(結果)」という流れで話を展開できるからです。しかし、そればかり使用すると冗長な会話になるので、一つの対処法としては、常に新しい情報を追加するという意識を持たせると良いでしょう。沈黙を埋めるために、話すことを考える時間を作る際にsoをfilerとして使うと、次に来る話の内容が「結果」に限定されてしまいます。文脈に影響を及ぼさないfiller(例:well, ummなど)を使うと、話の流れが制御されません。 I thinkというのをやめる。I thinkの部分を、assume, guess, supposeなどを使い、自信を持って主張したい場合は、be certain, believe, be sureなどを使うようにする。

「三角柱」の話

「幸せになる勇気〜自己啓発の源流「アドラーの教え!!」」(岸見一郎、古賀史健著)ダイヤモンド社

「嫌われる勇気」に引き続き、「幸せになる勇気」を読んでいる。これらは、アドラー心理学について、根本の考えから、青年と哲人が対話形式で、語っていくれている。とても読みやすく理解がしやすい。何冊もアドラーについては読んでいるが、この2冊がおすすめである。

その中でも、自分が心にひっかかった部分があり、全編ではなく、この部分だけ紹介しようと考えた。

アドラーが唱える「三角柱」がある。紙を三等分して折、立てれば三角柱になる。三角面あるので、一面には「かわいそうな自分」、もう一面には「ひどいことをする相手」と書く。アドラーがカウンセリングをするときに使うものであるが、もう一面はカウンセラーであるアドラーに向けておく。

カウンセリングを展開する中で、さまざまな悩みやこれまでのことを相談者は語っていく。「ひどい人にひどいことをされて、かわいそうな自分」これは、相談者の目の前にある三角柱に書かれている。

話が一通り終わったところで、カウンセラーが相談者に見えていなかった、もう一面を裏向けて見せる。そこには、「これからどうする?」と書かれている。

過去のことは、確かに辛くて、死ぬほど苦しかったかもしれないけれど、結局変えられない事実として残っていて、その辛さを抱えている自分を前向きに変えていくには、「これからどうする」という変えられる未来を考える事が1番大切である、ということをアドラーは唱えている。

私がいい例である。「ひどい人」「かわいそうな自分」とこの2つしか考えていない。これをカウンセラーにひたすら語っていたことを覚えている。この2つに関して、同意して欲しいのだ。共感して欲しいのだ。しかし、実際、これでは解決にはならず、いっときの安穏を得ただけである。本当に考えなければならないのは、「これからどうする?」というこの1点だけだ。

なかなか、「これからどうする?」の部分を考えられるようになるまでには、心の傷が癒えず、パワーもないので、時間はかかると思うが、常にそう考えていくようにしようと心に留めておこうと思う。