学びと成長の講話シリーズ3 社会に生きる個性ー自己と他者・拡張的パーソナリティ・エージェンシー 溝上慎一(桐蔭横浜大学学長・教授)東信堂
この本も「先生たちのリフレクション」と同様、1月8日の勤務校の道徳教育実践のプレゼンに向けて、柴田八重子先生(愛知淑徳大学)が送付してくださったもの。
おもしろくて、すぐに読んでしまった。私が修士の時に動機づけについて研究していた際に、論文のテーマにしていた、A.バンジューラの「自己効力感」とエージェンシーについて書かれており、とてもわかりやすく理解できた。
アクティブラーニング(AL)が大切なのは、自己理解を深めるためには、他者理解がなければ、自分のことがわからないため。「他者理解が自己理解に先立つとは、他者がいなければ、あるいは他者を理解できなければ自己を十分に理解することができないことを示唆する」
そのことは次の記述からもわかる。
「主体的な学びやリフレクション(振り返り)、探究的な学習など、近年実践が求められる自己主導型の学習が、(中略)他者との関係性が弱い生徒は自己主導型の学習が弱い、自己主導型の学習がなされているように見える場合でもそれが成長に繋がりにくい。」
また、協働学習が良い点として、
「学習プロセスに他者を組み込む、ペア・グループワーク、発表などを組み込むことは、全ての生徒が、学習の内容に関する他者の理解や考えに触れ、相対的に自身の理解や考えを特徴づける、発展させることを目指すものである。他者との活動は自他の相違(ズレ)を生み出す。」
「自他の相違(ズレ)は、他者との対峙(他者性)によって一個存在としての自己が発現する状況に相等しい。」
「他者と対決しズレをなくすことで自己を成長・発展させることができる。(中略)生徒がずれを作り出した他者と対決しようと努力し、ずれを無くそうとするかどうかは、生徒の態度や動機に大きく依存するからである。(中略)しかし生徒を、他者と対決させてずれをなくすことに向けて同期づけたり行動させたりするのはそう容易いことではない。」
傾聴する姿勢が大切であることも述べられている。グループやペアで意見や気持ちを述べていても、聞く姿勢がしっかりしていないと、他者理解を経ての自分への成長に結びつけることはできない。
さらに、グループやペアワーク全てに教師は目を注げるわけではなく、そのために「押さえ」として、発表させることも大切である。自席で発表させると、聞く姿勢を保つことは難しいため、前へ出て発表させることで聞く環境を整えることができる(話しても安全安心という心理的な環境を保障することも大切である)。
「前に出て発表する時、発表の生徒は、他の生徒(聴衆)から“見られる”ことを強く意識する。それは、身体が聴衆の面前にさらされ、視線を集めるからである。また、聴衆が鏡のような機能を果たして、(聴衆を)“見る”眼差しを“見られる“として折り返すようなものとも考えられる。」
「発表する生徒に聞き手の状態や理解を意識させたい(←相手意識)。他の生徒が聞こえるように、理解しておもしろかったと言ってくれるように発表することは、そしてそのような発表を積み重ねていくことは、その手前の学習を深く、動機づけたものにするだけでなく、将来の仕事・社会に向けての資質・能力の育成にもつながっていく。そのために、生徒の発表を自己意識が高まる構図で行わせたい。
私が英語のプレゼンについて、手書きのスケッチブックプレゼンテーションに拘っているのは、ネット上で発表したりデジタルでプレゼン資料を作成したりすることは、相手意識を考えることが希薄であるからである。(自己意識の高揚感が少ない)
「SkypeやZOOMなどの通信ソフトを用いてインターネット上で発表をしても、自己意識はさほど高まらない。それは、自身の身体が他者に晒されていないからである。」
振り返りについても、興味ある記述がある。
振り返りは、その眺めたものの中から事柄を「選び」、繋いで「言語化する」ことである。振り返りが教育的に意義あるものとなるかどうかの鍵は、この「選ぶ」と「言語化する」作業の質にある。
振り返りとは、活動や体験をこのような意味での経験、すなわち以前の自己より高次の自己へと発達させる作業であるとも言える。
「外化させる」こと(発表、レポート、プレゼンなど)の大切さは、思判表の育成にも大きな影響を与える。
なぜ外化すれば思考力・判断力・表現力が育つと考えられているのかも、この「選ぶ」「言語化する」のプロセスで言い換えるとよく理解できる。選ぶこと自体が「判断」、選んだ事柄を「繋ぐ」ときには、繋ぐ時の順序(論理的思考)が問われる。繋ぐプロセスにはさまざまな種類の「思考」が求められる。選び繋いで言語化すること、それすなわち「表現」である。こうして、自分の言葉で頭の中にある事柄を選び言語化する外化は、新学習指導要領で求められる思考力・判断力・表現力を育てる基礎的な活動となるのである。
三宮真智子によれば、メタ認知の活動には、①モニタリング(現実に生じている事柄に気づき、感覚、点検、評価に関する活動)と②コントロール(目標を設定し、計画を修正する活動)の機能がある。
reflectionは単に活動を思い返してまとめる「ふりかえり」というよりは、活動した結果をさまざまな文脈に関連づけて問い直し探求するだけにとどまらず、さらに問題のフレーム(枠組み)を確認・再設定(リレーム)し、次なる活動の方向性を見定める行為であると理解すべきである。
なぜ、ペアワークやグループワークなどの対話的な授業を心がければならないのか。
対話とは、自身の行動や価値観、世界観に影響を及ぼす他者との相互作用のことである。そして、そのような対話は、実在他者との実際の相互作用を自己に反映させた自己に関連づけた、極めてシンボリックな処理を伴う行為である。自己内に取り込まれた他者はもはや実在他者ではなく、人の自己世界に生息する表象的な他者である。
この本には、「拡張的パーソナリテイ」という言葉が頻出する。本のタイトルにあるからだから、当たり前であるが、
拡張的パーソナリティは、生徒の学びと成長を未来や社会に拡げて、自己と他者の観点よりももっと大きく議論することを可能にする概念である。
未来や社会に拡げるという観点からすると、「ライフ」というワードも重要である。
キャリア意識の指標において二つのライフとは、将来と現在の二つのライフの組み合わせを問うものである。質問では、「あなたは、自分の将来について見通し(将来こういうふうでありたい)を持っていますか)という将来に見通し(=Future life)の有無をまず尋ね、“もっている“と回答した人には引き続き、「あなたはその見通しの実現に向かって、今自分が何をすべきなのかわかっていますか。またそれを実行していますか」と問う。
今回1番学びたかった、「エージェンシー」についても、述べられている。
学習者のエージェンシーとは、学習者(生徒)が複雑で不確かな世界を歩んでいく力のことであり、自らの教育や生活全体、社会参画を通じて、人々や物事、環境がより良いものとなるように影響を与える力である。このためには二つの力を必要とする。①進んでいくべき方向性を設定する力 ②目標を達成するために求められる行動を特定する力
エージェンシーが単に学習者の個性の発揮のみならず、教師や仲間たち、家族、コミュニティなど、彼らの学習に影響を及ぼしているさまざまな人々との双方向的な互恵的な協力関係を持つこと(Co-agree)まで含める概念であると強調されている。
さまざまな人々と協同的に学び合いながら個性を発揮させていくエージェンシーが求められているのであって、それを自らの教育や生活全体、社会参画を通じて発展させていくことが「学習者のエージェンシー」の育成として謳われている。
不確かな未来を切り拓く力、社会や環境と順応する力、仲間や教師と互恵的な関係を持ち共に学び合う力とまとめることができるかもしれない。
私の修士論文は、「自己効力感、目標設定理論を駆使すると、英語学習への動機はアップし、英語力が高まる」ということについて研究した。自己効力感はA.Banduraが唱えているが、ここでも「バンデューラのエージェンシー論」が述べられている。
バンデューラは、社会的状況に対する行為主体の社会認知的な力を「エージェンシー」と概念化する。バンデューラは、エージェンシーの特徴として、①意図性(意図を持って行為すること) ②将来の見通し(時間的な拡張、将来展望) ③自己の態度(自身を動機付け自己調整する)、④自己省察(メタ認知的な検討)の4つを挙げる。
常々、「やらされている勉強」ではなく、主体的にする学習、自律的な学習者を育てなければと考えている。
自己調整学習の主体的学習とは、「学習目標」(「毎日単語を10個覚えよう」)、「学習方略」(「繰り返し声を出して単語を覚る」)、「メタ認知」(「自分の考えの矛盾に気づく」)
自己肯定感は中々上がらず、そのための手立てを講じたとしても、上げるのはかなり難しいことが書かれている。
佐藤は(佐藤学先生)、自己肯定感の低い人の自己肯定感を高めようとしても、多くの場合は逆効果に終わることが多いと述べている。J.コテは、学業成績に効いているのは自己肯定感ではなく、自己効力感であると論じている。
「今からやろうとしている活動(行事、こと)は自分なら上手にこなしていけるだろう」と行動に移る前から考えられること。それが、自己効力感である。ここでエージェンシーの定義が登場する。
エージェンシー(主体性)とは、行為者(主体)に対して前のめりに取り組む状態を指す。
記憶に関する情報処理について述べられている。
「自己関連付け効果」と「自己生成効果」である。自己関連付け効果は、事物と事物をただ関連づけたり意味づけたりするよりも自分の何かしらに関連づけた方がより豊かにイメージでき、記憶にも残りやすくなるというものである。その自己関連がエピソード記憶あるいは個人的な出来事や経験といった自伝的記憶までを含むものになれば、(中略)自己生成効果は、外部から耐えられることよりも、自分で生成したことの方が記憶に残りやすいという効果である。課題を自己に関連づけること、自己の枠組みで理解や考えを外化することが学習を前向きに同期づけることは十分に考えられる。
「この生徒はおとなしいしコミュニケーション能力は低いけど、歴史が大好きなので、得意とするところを伸ばしてやりたい」をどう見るか。私もこのタイプの生徒は大好きで、発表やプレゼンができない分、ペーパーテストなど別の部分で頑張ってもらえれば、、、と思っていたが、新学習指導要領を読むかぎり、その時代は終わったなと思い、4月には生徒には、プレゼンテーション能力が必要であることは伝えてきた。溝上氏も「厳しい物言いをせざるを得ない。対人関係・コミュニケーション能力の弱い生徒はトランジション(進学したり就職するライン)の観点から見て問題であり、先々苦労する確率が高いだろうと予測される。」と述べている。さらに、「個性が仕事・社会で通用するものなのかという現実的な視点も持ち合わさなければならない。」と言っている。人とコミュニケーションを取ったり、人前でプレセンテーションをするという能力は、ある意味画一的ではあるが、誰にでも必要な能力となってくるのだろうか。「対人関係・コミュニケーションをはじめとする資質・能力は、発達の問題があり、例えば高校生までにできなかったこと、十分に取り組まなかったこと、逃げてきたことは大学生になって十分にできないことも明らかになってきている。義務教育段階の基礎期はもちろんのこと、高校生くらいまでの間に脂質・脳お力の基本的なところを育てなければいけない。」
「おとなしい子」は、パーソナリティとしての個性においては受容されるべきものの、社会としての個性においては育てられるべき対象であることがわかる
やはり、静かに本を読み進めていく子どもでは、将来社会で生き抜いて行くことは難しいのかもしれない。
習得した知識や技能を活用する学習や、課題を発見したり問題解決したりする探究の学習が求められる。それらは、仕事・社会に関連する生きた文脈で活用すること、仕事・社会の中にある課題を発見したり問題解決したりすることを特徴とする…
学習目標に基づく学習プロセスが「形成的評価」と呼ばれ、学習成果としての達成が「総括的評価」と呼ばれていることは、教育関係者にとっての基礎知識である。
アクティブラーニングの基本である“書く”“話す”“発表する”等の「外化」の活動をさせると、生徒は何を学んだか、何を考えたか、さらには課題や授業に取り組む姿勢や意欲はどのようなものであるかが可視化される。
私が知らない、新しい学習指導要領下での、教育の変遷、教育方法・内容、評価の仕方、子ども像などがよくわかった。私がまったく遅れていることもよくわかった。もっとたくさん勉強しないと。