「人生の苦しさについて」曽野綾子 青志社」2011年
勤務校の教え子が貸してくれた。とても自分の生き方の参考になるので、読む価値は十分にあった。そのような機会をくれた子どもに感謝したい。
作者の生き様が描かれていてとても感動した。これほどまでに達観して色々なことが考えられるのか。
一つだけ印象に残っていることがあり、自分でもそう思っていただけに、それが確信へと変わった。「仕事をしている人は長生きである」ということだ。自営業や職人が多いが、死ぬ寸前まで仕事と対峙している。90歳近くになってもまだ仕事をしている。「まだ」というと、語弊があるが、高齢になっても“まだ“、仕事を突き詰めて、自分の仕事の質を芸術家の域まで持っていこうとしている。「何歳になっても何年やっても完璧な仕事はできない」と堂々と言う。「プロフェッショナル仕事の流儀」に登場するプロフェッショナルたちは口を揃えて同じことを言う。
曽野綾子さんもその1人である。90歳になっても、死を間も無く迎えることについて躊躇わずその運命を受け入れるだけの準備ができていると自覚しているにもかかわらず、文筆活動を継続している。
仕事をすると言うことは、社会に貢献していると言うことであり、自分に責任がかかってくる。社会の歯車として働いているので、その歯車の一つとして責任を果たさないと社会の末端の部分が動かなくなる。働くと言うことは責任を果たすことである。それから解放される事が、隠居する事であったり定年する事であるが、それではボケてしまう。仕事をするから、ドキドキし汗をかき、「次の日も仕事か嫌だな」とプレッシャーを自分にかけるのである。このドキドキがなくなると、責任がかからなくなると、ボケてしまうのかもしれない。定年して隠居すると病気を発症したり、心筋梗塞や脳梗塞に見舞われるのは、自分がもう社会には存在しなくてもいい人間だと自分で錯覚してしまっているのかもしれない。
「60歳まであと何年」や「定年まであと何年」と数える自分を戒めて、一生働ける喜びを感じないと。それは教師という仕事だけでなくてもいい、通訳案内士や英語を使った他の仕事を「趣味」(趣味と言いながら遊びではダメ。金銭と対価できるくらい質の高い趣味)として続けていけたらと思う。「趣味」の域まで喜びをもって取り組み、質を向上させていければと思う。