3年間も一緒にいると、いて当たり前の存在になるので、別れは本当に寂しいし、生徒より自分の方がこれからもひきづってしまうような気がする。出ていく方より、残される方が悲しい。日本人学校へ旅立つ私たち家族を見送る母が、とても悲しい顔をしていたことを思い出す。「あなたたちは悲しくないのね。」と後日メールで語っていた。私たちも悲しいが、どちらかというと、新天地での新しい生活への緊張感の方が大きかった。送り出した3年生も泣いてはいたが、多分、あの時の私と同じ気持ちだったのだと思う。
国歌斉唱、卒業証書授与、学校長式辞、送辞と、来賓がいない分だけ式次第はどんどん進む。私が司会をしているのだが、ここまでは大丈夫。
しかし、答辞は私が指導したこともあって、ドキドキと感動。私のアナウンスの声もやや上ずる。クライマックスを迎えるや否や号泣。いい表情で、言葉を紡ぐように、話をしてくれた。在校生へ、先生へ、保護者へ、卒業生へ、とメッセージは続く。ここら辺からは、式場内は啜り泣く声が聞こえ始める。
学年合唱は、ラッドウィンプスの「正解」。式歌は「旅立ちの日に」。男子も堪えきれずに泣いている。ちなみに私は、国歌斉唱あたりからずっとグスグス泣いている。アナウンスしないときは泣いて、アナウンスする少し前から体勢を立て直す。しかし、答辞から我慢できずに感動してわんわん泣いていた。
大トリは「職員合唱」である。「蛍の光」をモチーフにした合唱曲。何日も前から職員で練習を重ねていた。2番と3番の間に間奏があるのだが、そこで3年生の先生がメッセージを言う。担任は退場後に教室でお別れができることもあり、副担任の女性と学年主任の私が言うことに。
女性の先生は素直な気持ちを手紙にしたためて、子ども達の心にスーッと入っていく声とトーンで語りかけてくれた。子どもたちはその語りを聞いてオンオン泣いていた。
次は私の番。きちんと言えるかどうか昨日の夜からずっと気になっていた。そのせいで眠れなかった。嗚咽してしまっていて、言えなかったらどうしよう!?頭の中はそればかりだった。なんとか、持ち直して、語りを入れることに。悩んで悩みまくって、考えた語り。泣いて言えなかったり、混乱してしっかり言えなかったら困るので、文章にしたためて手紙を読むことに決めていた。しかも、日本語の不得意な生徒や保護者にもわかりやすいように、英語で言ってから日本語で話すことにした。
私の語り”Be Happy”
最後は泣いて言えなかった部分もあったけど、しっかり言えたと思う。
生徒たちも男子生徒まで目をはらして泣いてくれていた。管理職からもしっかり語りに対する返しをいただき嬉しかった。「語りの人選も順番も、英語→日本語の順番も、内容も素晴らしかった。」と。驚いたことに、保護者が何人も来てくれて、「素晴らしい卒業式をありがとうございました。」と。今までではあまり経験のないことで、本校では、保護者が感動することは珍しいこと。同じ語りをした女性の同僚も、「英語でやってもらったことで、保護者が言っていることがわかってよかった。だから、『感動した。』と言ってくれたんじゃない。」と言ってくれた。
本当に、思い出に残る卒業式だった。あと何回できるかわからないけど, こんな3年間の最後を迎えられるよう、教員を辞めるその日まで素晴らしい生徒を送り出していきたい。
なんせ、今日は私の55回目の誕生日。大好きな生徒たちを見送って、本当にいい日だった。一生心に残る誕生日になった。