英語教育2021年3月号を読んで

英語教育3月号(大修館書店)2021 Vol.69 No.13.  第1特集 自分で学ぶ力が必要な今「英語が苦手」をどうサポートするか 第2特集 学校ICT・大学入試はどう変わる?

生徒の「わからない」を受け止める必然性・くりかえしを意識した発問づくりへ 松尾真太郎(神奈川県立新栄高校教諭)

授業のテンポをよくするためには、「必然性」と「2回聞く、2回考える」をキーワードに進めることが大切である。例えば、フードバンクについての内容を取り扱う場合、昨晩何を食べたのか思い出させるところからインタラクションを始める。ブレインストーミングして、いろんなアイディアが頭に浮かぶようにする。「2回…」については、先生側が気をつけること。1回聞いても生徒に伝わらない場合は、2回目はわかりやすくゆっくり質問することが大切である。「2回考える」は、生徒に質問したり指示したりする時に、どう言えばわかりやすい質問(指示)になるのか、「今考えること」。2回目は、授業後に「どう言えば良かったのか」「後で考えること」。

今月の時事英語 西森マリー

Strike ‘himself’ or ‘herself’ and insert ‘themself’. 「彼自身、彼女自身」を廃し、「ゼムセルフ」を使用する。

指導の当たり前を疑う 奥住 桂 帝京大学講師 「使う文法を指定するのって必要?」

「思考・判断・表現」の指導においては、生徒は特定の文法事項などの使用を強要されず、既習の知識をフルに使って目的を達成することが求められます。「正確さ」ではなく、「適切さ」を指導・評価していければよいのだと思います。

新出の文法事項が使えるようになった、ということよりも、その文法事項を使ってできるようになったことがある、という部分を評価しなければならない。さらに、できるようになった仕組み(単元末活動)を作る中で、必ずしも新出の文法事項を使用することはなく、その場合、表現活動がスムーズにできているかどうか、相手意識に立って表現されているか、目的・判断・状況を踏まえているかという部分が大切になってくる。

小学校英語One pointアドバイス 加藤拓由 岐阜聖徳学院大学准教授 単元のゴール活動の工夫と評価(後半)

単元のゴール活動を評価する場合、必ず、適切なルーブリックを設定して、それを活動を行う前に、生徒に配付し、明確なゴールを示すことが大切。

小学校英語 教科書活用のヒント 「将来を見据えた英語指導」 町田智久(国際教養大学准教授)

ラーニングピラミッド 5%講義 10%読書 20%視聴覚 30%実演 50%グループ討論 75%自ら実践 90%他人に説明

English Beyond Words: The Culture of American English “Setting Realistic Expectations(4):The Secret Is Confidence (J・Reese) ‘The Secret Is Confidence’

When anyone ask you if you can speak English, please reply with “YES, just not all of it”. Please do not reply with, “a little”. “A little” is the modest answer, and modesty has no place in English. Using the words, “a little”, has the nuance of saying, “English is a big language, but I only speak a little.” Instead, when you profess, “yes, just not all of it”, there is confidence built into that answer, The nuance is, “English is a big language, I can speak English, but I am ok with not speaking all of it”. By saying, “Yes”, you’re acting confidently, and using English the way the rest of the world uses English.

よく、”A little.”と答えてしまう時があるが、そもそも「控えめ」や「謙遜」という概念は英語にないので、自信を持って、”YES, just not all of it.”と答えたい。「英語は重要な言語だけど、全部を話せる訳ではないです。」

第48回森会を終えて

2021年3月21日(日) 中川地域交流センター 出席者7名

あと10日で新学期という時期にやる気のある英語の先生で集まった。

最初は、浜島書店の浜島さんからいただいて、前回配付した、長野県教育委員会が発行している「テスト改善ハンドブック」でわからないことを出し合った。テスト改善のみならず、新学習指導要領での新しい英語の授業についても記述されているので、それについてもグループで話し合ってもらった、全体共有した。

1 1分間スピーチがうまくいかない

これは本当によくあることである。普段から少しずつやっていかないと急にはうまくいかない。1年生だと10秒から始めて何度もペアを代えて話す練習をするところからスタートすることを勧めた。10秒→20秒→30秒と。子どもたちはできるようになるまで時間がかかる。できるようになるまで不安なので、ふざけたり遊んだりする。その時間も我慢して見守り続けることが大切である。すぐにはできるようにはならない。私たちがいかにsmall stepsを組んで、scaffoldingしてあげるかである。

2 リスニング(テスト)の放送文は1回?2回?

すでに英検は1回の方向に動きつつある。1級はずいぶん前から1回しか放送されない。authenticなsituationに近づけるには、1回であろう。実際の場面ではもちろん1回しか聞くことはできないし、聞き取れなければ、もう1回言ってくださいと言わなければならないので、これの繰り返しをしてしまうと、コミュニケーションは成立しない。これからの定期テストも入試問題対策についても1回で慣れさせていかないといけない。入試や検定試験がまだ2回でやるにしても、授業では1回で慣れさせる方向で。I先生からは、「1回に慣れさせておけば入試が1回でも大丈夫。2回になればラッキー。」まさにその通りだ。

3 ライティングの評価について

fluencyなのかaccuracyなのかを迷っているようだった。私は初学者(1年生)の場合は、話すことにしても書くことにしても、fluencyを大切にしている。まずは、量をこなせるようになってからaccuracyを目指すべきだといつも思っている。「話すことがない」、「何を書いたらいいかわからない」はよく聞かれる。「なんでもいいからとにかく、書け(話せ)!」というのは、いささか無謀だが、それくらいの指示をしないと、生徒たちは動き出さない。

まずは、書いた「量」を評価し、次に「内容」を評価するルーブリックを作る必要がある。Errorについても、Global Errorは減点の対象とするが、Local Errorは個数を制限して、そこまでは減点しないなど、書かない方が損をしない、ような評価にしてはいけない。

4 ライティングの問題文は、日本語ばかりではいけないの?

条件を日本語で提示して、自由英作文をさせるというもの。確かに、日本語で提示すればそれだけ負荷がかからないので、「何を作文すればよいのかわかる」が、「英借文」という観点からは、問題文に英文が書いてあることで、そこから書く内容のヒントを得たり単語を借りたりすることができるので、やはり問題文には日本語の条件提示と英語のガイド文がある方がいいかもしれない。

5 Small Talkはどうやる?

「Small Talkをやってみたいけど、どうやってやればいいかわからない。さらに、それだけ話題を持っていない」日常的な話題や身の回りにあることをForeigner TalkやMothereseと言われる方法を使って、生徒たちにゆっくりはっきりやさしくジェスチャーを使って、語りかけることである。Foreigner Talkは「外国語を習っていて間もない人にわかりやすくその学習言語で話す」で、Mothereseは「幼い子どもに母親がわかりやすく話す」ように話すことである。このForeigner TalkとMothereseでSmall Talkを行うということが非常に重要である。さらに、話題については、「ジャレマガ」というメール配信が非常に有益である。元名古屋女子大学教授のジャレル先生が中学校程度の英語を使って、日常の話題を簡単な英語にしてくれている。これを元に、Small Talkを作ればよいのである。

6 リピートをさせてはいけない!?

まずは自分で読めるかどうかやらせてみることが大切である。文字を音声にできない生徒がおり、ただリピートだけさせていると、周りの生徒の真似をしているだけ先生の真似をしているだけで、読むことができない。わからない単語や読み方をリピートの時に修正することは良いことであるが、読めないまま進むと、独力で英文の読めない生徒を作ってしまうことになる。あくまで、目標は、自力で読める生徒を作ることである。そのためには、「1人で読む(読めるかどうか、わからないところを炙り出す)」→「みんなで読む(わからないところを確かめる)」→「1人で読む(わからないところを練習する)」→「ペアで交互に読む(読めたかどうか確かめる)」という活動を繰り返すと読めるようになる。

まもなく授業が始まる。まずは、「黄金の3日間」を乗り越えて、よいスタートを切りたいものだ。

卒業式を終えて

3年間も一緒にいると、いて当たり前の存在になるので、別れは本当に寂しいし、生徒より自分の方がこれからもひきづってしまうような気がする。出ていく方より、残される方が悲しい。日本人学校へ旅立つ私たち家族を見送る母が、とても悲しい顔をしていたことを思い出す。「あなたたちは悲しくないのね。」と後日メールで語っていた。私たちも悲しいが、どちらかというと、新天地での新しい生活への緊張感の方が大きかった。送り出した3年生も泣いてはいたが、多分、あの時の私と同じ気持ちだったのだと思う。

国歌斉唱、卒業証書授与、学校長式辞、送辞と、来賓がいない分だけ式次第はどんどん進む。私が司会をしているのだが、ここまでは大丈夫。

しかし、答辞は私が指導したこともあって、ドキドキと感動。私のアナウンスの声もやや上ずる。クライマックスを迎えるや否や号泣。いい表情で、言葉を紡ぐように、話をしてくれた。在校生へ、先生へ、保護者へ、卒業生へ、とメッセージは続く。ここら辺からは、式場内は啜り泣く声が聞こえ始める。

学年合唱は、ラッドウィンプスの「正解」。式歌は「旅立ちの日に」。男子も堪えきれずに泣いている。ちなみに私は、国歌斉唱あたりからずっとグスグス泣いている。アナウンスしないときは泣いて、アナウンスする少し前から体勢を立て直す。しかし、答辞から我慢できずに感動してわんわん泣いていた。

大トリは「職員合唱」である。「蛍の光」をモチーフにした合唱曲。何日も前から職員で練習を重ねていた。2番と3番の間に間奏があるのだが、そこで3年生の先生がメッセージを言う。担任は退場後に教室でお別れができることもあり、副担任の女性と学年主任の私が言うことに。

女性の先生は素直な気持ちを手紙にしたためて、子ども達の心にスーッと入っていく声とトーンで語りかけてくれた。子どもたちはその語りを聞いてオンオン泣いていた。

次は私の番。きちんと言えるかどうか昨日の夜からずっと気になっていた。そのせいで眠れなかった。嗚咽してしまっていて、言えなかったらどうしよう!?頭の中はそればかりだった。なんとか、持ち直して、語りを入れることに。悩んで悩みまくって、考えた語り。泣いて言えなかったり、混乱してしっかり言えなかったら困るので、文章にしたためて手紙を読むことに決めていた。しかも、日本語の不得意な生徒や保護者にもわかりやすいように、英語で言ってから日本語で話すことにした。

私の語り”Be Happy”

最後は泣いて言えなかった部分もあったけど、しっかり言えたと思う。

生徒たちも男子生徒まで目をはらして泣いてくれていた。管理職からもしっかり語りに対する返しをいただき嬉しかった。「語りの人選も順番も、英語→日本語の順番も、内容も素晴らしかった。」と。驚いたことに、保護者が何人も来てくれて、「素晴らしい卒業式をありがとうございました。」と。今までではあまり経験のないことで、本校では、保護者が感動することは珍しいこと。同じ語りをした女性の同僚も、「英語でやってもらったことで、保護者が言っていることがわかってよかった。だから、『感動した。』と言ってくれたんじゃない。」と言ってくれた。

本当に、思い出に残る卒業式だった。あと何回できるかわからないけど, こんな3年間の最後を迎えられるよう、教員を辞めるその日まで素晴らしい生徒を送り出していきたい。

なんせ、今日は私の55回目の誕生日。大好きな生徒たちを見送って、本当にいい日だった。一生心に残る誕生日になった。

私もまったく世間と足並みは揃いません!

「世の中と足並みがそろわない」ふかわりょう 新潮社

ASD傾向のある私は、人と歩調を合わせるのが非常に苦手である。なんなら、ASD傾向ではなく、診断が下りていないだけで、ASDだと思う。ASDだから、これまで非常に生きづらさを感じてきた。ASDと分かっていたら、たとえASD傾向だとしても、もう少し自分の生き方をコントロールできたかもしれない。

人と歩調を合わせるのが苦手である。集団で行動しなければならないときは、集団で行動できるように演技する。しかし、苦痛だ。自分のやりたいことができないし、やりたくないことをやりたくないときにしなければならない。やりたいときに、やりたいことをしたいのだ。人と話すのも結構面倒である。だから、1人で行動していいときは1人で好きなように行動する。誰にも邪魔されない素敵な時間である。

人と同じように考えることもできない。やや批判的に斜めから物事を見るのではない。いろんな方向から見てしまったり、裏側をまず見てしまったり、そんな方向からは普通は見ないという方向から見てしまう。みんながいいというものの半分くらいはいいと思えないことがある。その逆も然り。

ふかわりょうさんの著作も同じ。

どうしても世間と歩調が合わせられない作者。5人で車2台で出かけても、ふかわさんだけ1人で1台、あとの4人が1台。めちゃくちゃ気持ちがわかる。狭い車内で2人きりにされたら、苦痛のなにものでもない。車で2人になれるのは、酔ったときと、家族といるときだけである。

印象に残った部分は、「隙(すき)」について。人間、完璧にしたいという人はいるが、あまり面白みがなくて、人はついてこない。いい意味で、「隙」のある人は魅力があるという話。

怠惰であるという意味ではなく、どこか少し抜けているくらいが適当で、接しやすいということ。

「友達100人できるかな」の歌についても、同感できることが書いてあった。友達はたくさんいた方がいいのだろうか。ふかわさんは、どんな友達かによるということ。私も友達が少ないが、とても深い繋がりがある人ばかりなので、浅い付き合いの人が何人いても仕方がなく、お互い影響を与え合って、切磋琢磨できる友達が2〜3人いればそれでいいような気がする。

一人焼肉、一人旅、色々1人を際立たせるような表現が、SNSに出てくるが、1人は決して珍しいことでも悪いことでもない。「旅は1人に限る。」とは、ふかわさんの言葉である。1人ではないと、連れと話ばかりしてしまい、旅の中での接触が薄くなってしまう。感動も薄くなるだろう。

世間と歩調なんか合わさなくてもいい。時代が変われば、またその歩調は勝手にずれてくる。元々ずれている私は、そのうち、時代がずれてずれてずれて、私に合わせてくれる時代が訪れると信じている。

ヴィゴツキー心理学を少しずつ読み進めていくことに

ヴィゴツキー心理学 「最近接発達の領域」と「内言」の概念を読み解く 中村和夫新読書社

ずっとヴィゴツキーを読みたかったので、いい機会と思い、しっかり読み込むことにした。この本は、やさしく書いてあるとは思うが、ヴィゴツキー素人の私にはかなり難解である。教員向けのものにすればよかったと少し後悔している。こういう場合は、しっかりゆっくり読むことで自分の中に染み込ませることができる。

「1人で課題をクリアしてもそれは「できた」ことにはならない。仲間と一緒に取り組んで「できた」ことが「できた」という。」のが、発達の最近接領域であるという間違った解釈をしていた自分に気づくことができた。

作者の中村和夫は冒頭で、ヴィゴツキーの原文のロシア語から解釈して、「発達の際近接領域」より「最近接発達の領域」とした方がいいと提案している。

最近接発達の領域とは、子どもがある課題を独力で解決できる知能の発達水準と、大人の指導の下や自分より能力のある仲間との共同でならば解決できる知能の発達水準との隔たりをいう。そして、この隔たりは、今は大人や仲間の援助のもとでしか課題の解決はできないが、やがては独力での解決が可能となる知的発達の可能性の領域を意味している。

少し難しい記述だが、「子どもが伸びるだろう『のびしろ』の部分」を個人で活動しているときとグループや先生と活動しているときで観察し、その「のびしろ」の発達の可能性の領域のことだろうか?

学齢期は教授の最適な時期であり、自覚的で随意的な機能に最大限立脚しているような教科に対して敏感な時期である。教科の教授が、最近接発達の領域に存在する高次心理機能の発達のための最良の条件となるのである。

学校教育が学齢期に行われることの大切さが書かれている。やはりこの時期に学校に行かないと、心理機能の発達に支障をきたす可能性がある。

教師ーそれは科学の社会的知識の代表者なのである。

私たちの最高の文化的達成である科学的知識の体系を子どもが教授され、それを習得する過程で子供の内面に生ずる科学的概念体系の発達こそが、実は、子どもにおける自覚性と随意性の発達、換言すれば、高次心理機能の発達の実態だからである。

科学的知識は体系化されていて、学校で学ぶべき知識である。それが心理機能の発達に大きく寄与する。

学校での教授ー学習過程をとおして、子どもには、自然発生的に習得されている生活的概念群と、意識的に習得されつつある科学敵概念体系との間での相互浸透が生ずる。この相互浸透の過程が、いわゆる生活的概念と科学的概念の内的な統一的発達過程である。

生活的概念は自然に習得されるもの。生活しているうちに身についていく概念であり、科学的概念は学校教育で体系的に習得されるものである。両方がともに習得されていくことで、内的な統一発達が起こる。

この章には、内言についての記述がある。

内言とは、内面化された(声に出されない、頭の中で展開される)言葉のことである。この内言によって、人間は前もっと頭の中で必要な行為を計画し、その計画に従って自らの行動を調節する。この場合、言葉は内的な記号として思考を媒介しており、このような内言に媒介された思考のことを、言語的思考と呼んでいる。言語的思考の発達には大きく「複合的思考」の段階と「概念的思考」の段階がある。

内言とは、言葉に表さず、頭の中で考える言葉である。内言の概念形成が外的な思考や言語の表出に大きく関係している。

概念的思考では、犬と鶏と小麦と庭木は生物という抽象化れた、単一の本質的な特徴で結合され、ひとつにまとめられる。複合的思考では、これらはみな地主のペトロフのものであるということで、ひとつにまとめられる。

ヴィゴツキーの文化-歴史的理論では、様々な高次心理機能の発達の最も中心に位置するものは、概念的思考である。内言に媒介された言語的思考が複合の段階から概念の段階へと発達し、それに基づいて他のすべての心理機能が再編され、文字通りの高次な心理機能へと転換していくのである。

科学的概念は子供が学校で科学的知識の体系を習得することにより発達するが、生活的概念は子供の個人的なけい生活的概念は子どもの個人的な経験の中で、体型性を書いたまま発達するということである。

自由な支配(随意性)

書き言葉では、無自覚に用いられていた話し言葉から言葉の体系的構造(文法)を抽出し、認識し、その随意的な活用によって初めて筋道だった文章が可能になる。文法や代数概念の習得は小学校高学年から中等教育にかけての対象であり、まさに思春期の発達課題である。このような真の概念に媒介された概念的思考の発達は、思春期にもたらされるのである。

ヴィゴツキーは言語的思考の発達の最終段階(概念的思考の段階)に、人間的に最も高次な意識・人格の発達を展望していたのである。ここにこそ、「言語的思考の発達論は人格論である」ということのゆえんがある。

完全に定まった普遍の内容、文脈に依存しない一つの内容、これが語の「意義」である。語の「意味」は状況とともに絶えず変化し、意義をはるかに越えて、いわば無尽蔵の豊かさを持つわけである。

語の「意味」は文脈とともにあり、従ってその内容をあらかじめ限定できないのである。かくして、語の「意味」は無尽蔵である、語の意義に優越しているのである。

内言の意味論の第一の特質は、まさに内言においては語の「意味」が後の意義に優越しているということ、内言は凝縮された「意味」の塊を構成している。

うーん、やっぱり難しい。もう少し簡単に書かれていて、現代の教育への応用について書かれているものも読まないと。

英語教育2月号を読んで

「英語教育2月号」(大修館書店)2021 Vol.69 No.12. 第1特集「評価のお悩みに答える評価のお悩みに答えるQ&A」第2特集「オンライン授業の評価をどうする?」第3特集「新しい中学校検定教科書試し読み」

新しい評価について

最低限知っておくべきことは(根岸先生(東京外語大))

「技能」について、学習指導要領には、「指導する単元で扱う言語材料が提示された状況で、(中略)、評価するのではなく、使用する言語材料の提示がない状況においても、(中略)、評価する。」

「主体的…」には、コミュニケーションを図ろうとしているかがポイントなので、実際にできるかどうかではありません。態度の見取りですから、発表技能はまだいいとしても、受容技能では容易ではありません。

評価の3観点の基本のき(泉恵美子先生(関西学院大))

「思考・判断・表現」は、コミュニケーションを行う目的や場面、状況などに応じて、知識及び技能を活用して、スピーチや発表、エッセイなどのパフォーマンステストやポートフォリオ、プロジェクトや話し合いなど多様な活動を入れます。

「主体的…」は、粘り強い取り組みの中で、自らの学習を調整しようとしているかどうかを評価します。

「内容のまとまり」については、評価規準は内容のまとまりごとに設定することになっている。その内容のまとまりとは、5領域のことを指します。そこで、領域ごと観点別に評価規準を作成し、指導と評価を行う。

「記録に残す評価と残さない評価の違い」については、単元末などで到達目標が達成できたかを測る際には「記録に残す評価」を行います。教師の指導改善や児童生徒の学習改善に役立てる形成的評価(学習のための評価)を行います。

「言文の知識・理解」と「知識・技能」の違い 太田洋先生(東京家政大学)

「知識・技能」を育てるための活動は、例えば各Unitでの新出言語材料をとして持ち、それを場面・状況に応じて正しく使うことができるようにする活動です。「思判表」を育てるための活動は、コミュニケーションを行う目的・場面・状況などに応じて、「何を表現するか」(内容)と「どのように表現するか」(言葉)を生徒自身が決めて表現する活動です。「コミュニケーションを行う目的・場面・状況などに応じて」ですので、単に新出言語材料が使われているかどうかでなく、「コミュニケーションを行う目的・場面・状況などに応じて」適切に英語を使っているかどうかがポイントになります。例えば、「新しく来たALTに快適に生活してもらうように、自分たちの街を紹介しよう」という目的・場面・状況。「新しく来たALTに快適に生活してもらう」という目的のために、「街のどこを紹介するか」(内容)、そのために「どのような英語を使うか」(言葉)を生徒自分で(教師が与えるのでなく) 決めてALTに紹介することになります。

「知識・技能」を評価するためには、There is a good Italian restaurant in my city.という文を使って、その後に、You can enjoy Italian food there.などの文を足すことで、人におすすめの店を紹介する場面で使えることを示します。生徒に、「ああ、こういう時に使うんだ」ということが伝わりやすい例文を選び、場面を設定して文脈の中で導入し、その後似た場面や別の場面でその新出文法事項を練習します。このようにどのような時に使うかを示す導入や練習をすることで、知識だけで終わらず、技能につながって行きやすくなるでしょう。

小学校では「思考力・判断力・表現力等」をどう評価するか 幡井理恵 昭和小講師

「思考力・判断力・表現力等」は、「知識・技能」をどう使うか。また、そこに必ず言葉を使う目的・場面・状況があり、それらに応じて適切に既習の語彙や表現を使っているかに当たる。

「主体的に学習に取り組む態度」の評価は? 大田亜紀 別府短大准教授

「主体的に・・・」は、自らの学習状況を把握し、学習の進め方について試行錯誤するなど自らの学習を調整しながら、学ぼうとしているかどうか。

①知識及び技能を獲得したり、思考力、判断力、表現力等を身に付けたりすることに向けた粘り強い取組を行おうとする側面 ②①の粘り強い取組を行う中で、自らの学習を調整しようとする側面

「主体的に・・・」は、外国語の背景にある文化に対する理解を深め、他者に配慮しながら、主体的に外国語を用いてコミュニケーションを図ろうとしている状況を評価する。

誌上発音練習ワークショップ第11回

なぜhave toを[haev tu]と発音しないのか。同化現象のひとつで、toの無声閉鎖音/t/が直前の/v/に影響を与えて/v/を無声化した結果。Of course. ([v]→[f])

「性の多様性から『じぶん』について考える〜 誰もが排除されない社会を目指して 子どもたちとの出会いから見えてきたこと 〜

2021年2月6日(土)10:00 津人教橋内地区教職員研修会(ZOOM研修)津市立東橋内中学校 講師:田中一歩さん、近藤孝子さん

2年前にも本校に来て話をしてもらったことがある。そのために、同僚と大阪の布施で一歩さんと孝子さんがやっているイベントに出向き、忙しい合間を縫って打ち合わせをさせてもらったことがある。

「こんなこと言ったらあかんのやで」や「こんなことしとるで、あかんのや」とか。そんなことは一切仰らない。ご自分たちの考えや意見は押し付けない。ただ、ご自分たちの経験から話を一般化して話してください。うんうんと頷くことばかりだ。

今回は、ZOOMで研修することになり、一歩さんと孝子さんは大阪から。私たちは各職場と各家庭から(勤務日ではなかったために)参加することになった。本校では3年B組の教室に10人の先生が集まった研修を深めた。

印象に残ったのは、「セクシュアリティ(性のあり方)の4つの要素」について。LGBTからLGBTQ(Qはqueerで「自分の性がよくわからない」という意味)、最近、SOGIという言葉を知ったばかりなのに、この日はSOGIESC(ソジエスク)という言葉を初めて知った。Sex、Gender Identity、Gender Expression、Sexual Orientation、Sex Characteristicsの頭文字を取っている。

1番気になっているのは、

「性の多様性を受け入れられない」人がいること。その結果、「自分の性を否定」、「他人の性を否定」してしまうこと。

私たちは、「勝手にカテゴリーに当てはめてはいけない」。

「当たり前って何?」『普通って何?」

「普通そんなことせんやろ!!」とか「そんなん、当たり前やんか!!」とよく使うけど、普通や当たり前の意味はよくわかっていない自分がいる。

もっともっと、広く見ないと。もっと寛容な心を持たないと。

英語の授業ではありませんが、道徳の柴田先生の本で、授業を完コピ

2021年2月15日(月)第6校時 3年A組 主題「1冊の本と1本のペンが世界を変える」私たちの道徳〜あすを生きる〜(日本文教出版)

https://youtu.be/6aWBZUgy49s

休みの日、部活の終わりに、後輩で懇意にしてもらっている先生がいたので、先日このブログでも取り上げさせていただいた、柴田先生の本を熟読したので、完コピしてやるから、授業を見に来てと伝えた。もちろん喜んでくれた。

しかし、その会話を管理職も聞いており、「ぜひ私も見させて欲しい」と。そこからが怒涛ように話が先に進み、「ビデオを撮らせてほしい」「校内研修に位置付けて全員に公開してほしい」「教委に連絡するので指導案を作成してほしい」「柴田先生にも見せるので、ZOOMで同時配信する」、最終的には、「森がかなり張り切っているので皆さんみに来てあげてください」という私のわがままがみんなを巻き込むような形に仕立てあげられてしまった。

まあきっかけは何にしろ、自分の力になることなら頑張るし、私が頑張ることでそれが少しでも職員のプラスになるのであれば、やる価値はあった。

導入では、ウォームアップなしに、課題を設定し投げかけた。「正しいと思うことを正しいと人前で言うときの気持ちは?」柴田先生は内容項目と絡むこの課題設定を授業の冒頭で行うことはとても大切だと言う。今回私の設定した課題は、内容項目と絡んでいないので、柴田先生からは、「これまで一度でも国際社会に貢献しようと思った事はある?」という課題設定の方が良かったのではないかという指導を受けた。

さらに導入では、マララユスフザイの国連スピーチをYoutubeで視聴した。英語の授業でも習った所なので、生徒たちは真剣に見ていた。

展開では、補助発問をせず、いきなり主発問を行なった。前回のB組の授業では時間切れになってしまったので、主発問をすぐに持ってくることにした。「マララが国連のスピーチで訴えたかったことは何か?」少し考える時間を与えた後、全員起立させ、思いを発表させた。同じ思いの場合は着席して良い。ア、イ、ウ、エ、オの部屋を作り、板書した。「女性にも平等に教育を」、「すべての子どもに教育を」、「権利を大切に」、「みんなで声をあげよう」、「自由がほしい」など。その後、部屋ごとに起立させ理由・根拠を述べさせた。自分の経験や気持ちと絡めながら発表することができた。

ここで、柴田先生のやり方でやると、不思議と、子どもたちはよそ見をしたり要らん話をしたりしない。自分と違う意見の部屋の人たちが話をしている時も真剣に聞いている。起立させて、意見を述べさせると、また、名前のカードを黒板に貼ると、しっかり自分も参加しているという気にさせられるのだろうか。

最後に、「友達の意見を聞いて、はっ、ドキ、ガッテンと思ったことを話しましょう」と他者理解の上に、自分の成長を見とる場面にやってきた。「私は、◯◯さんの意見を聞いて、なるほどと思いました。」という形で、話をすることができた。

柴田先生からは、赤のチョークで四角に囲って、そこに、成長点を簡潔に書いてあげることが大切と教えてもらった。私はこの後で、授業冒頭に設定した課題に戻ったのだが、それは必要なく、黒板の赤の死角の中を見ると自分の成長を見とることができ、それが自己評価の見える化になるということだった。

このやり方は、魔法のようだった。子どもたちは食い尽くし、先生は授業の展開の仕方がとてもやりやすい。教材研究もしやすい。私はこれで3人の道徳の先生のやり方で授業をしたので、テーマや教材を見ながら、やり方を変えていこうと思う。

ノーマルな河合先生のやり方、部屋を作る柴田先生のやり方、価値観の変わった部分に線を引かせて前後で考えさせる渡辺先生のやり方、モラルジレンマ

もっと道徳の授業をやらせてほしい。

新しい道徳の視点を持てました

「みんなで創ろう! 主体的対話的で深い学びのある道徳科の授業」愛知淑徳大学非常勤講師 柴田八重子先生 小学館

 すべての子どもに価値観のランクアップ

①率直な自分を知る ②みんなの力を借りて自分を磨く ③自分の変化成長ぶりをあらためて実感し、報告・感謝する 

自己及び多様な他(異質)者と語り合い、「異」を生かし、新たな価値観などを共に創り、その過程で良好で創造的な対話空間づくりに尽力する。

 中心発問の重層化

中心発問の意見を、一度対象化し、友達の意見と比べ、自分は、ア、イ,ウ…どの意見の部屋なのか自覚すること。

意見を全て分類する。部屋名をつける。「なぜその部屋にいるのか」理由根拠を言う。少数意見・少数部屋から始める。議論しているうちに、教材内の言葉から自分の言葉に変わる。 

自分が発言できる状態になったら起立→全員立ったら自分の意見を言う→自分の意見と一緒なら座る

中心発問の重層化は、“自己内対話”、“他者との対話“で縦(深く)と横(多面的・多角的に広げ)で行う。:“深く掘ること“、自分が自分に、自分を問う。①率直な発言・意見 ②‘教材の理由・根拠→自分の理由・根拠 “自他の成長実感“ :“多面的・多角的に広げること““自分が自分に、自分を問うつもりで、他者に問い学ぶ=異質感から学ぶ

対話とは、「目的を持った話し合い」、対象は自分自身(自分が自分に自分を聞く)と他の人(新しい考えをいただく、自分の考えをみんなに伝え、みんなの意見をいただく)

対話で大切にすること

A ねらいの人間化→人間の弱さを話題にする B 不確実性の重視→変化・成長するときの混乱の尊重 C 自分の見方・考え方の再組織化→難問、異見、少数意見、批判的思考の尊重

授業の進め方の留意点

①範読するとき、「なぜ・・・なぜでしょうねえ」と一言入れると良い ②わからない言葉や文は、カードにして解説しながら読み進める ③後で、成長した自分を振り返れるように、発言した人の名前カードを黒板に貼る ④取り組む教材の内容項目について、学習指導要領の解説でしっかり読み込み、教材との関わりについてしっかり認識する ⑤導入では、教材を読む前に、課題提示をしておく (例)「やさしくされると?(気持ちいい)では、やさしくするとどんな気持ち?」など ⑥中心発問で意見が出やすいように補助発問をしておく ⑦中心発問しっかり練ること ⑧全員が意見→理由・根拠を言う(質問・意見を言う)少数意見から→級友の意見から“いただき”を感じたこと、自分の考え等が“ハッ“、“ギクっ“気づいた、気になり出した、参考になった…等があったら出し合おう。“変化を感じた“ことも。

今日の授業から(2021/2/4)

2021年2月4日(木)の3Aの授業より

2月8日(月)と15日(月)に、3年生最後の道徳をさせていただくことになった。3年間道徳に力を入れてやっていこうと、1年生の4月に学年の先生に伝えてから、本当にみんなで力を合わせてやってきたので、最後ということにあたり、いつもより少しだけ気合を入れなければとおもっっていた。私に割り当てられた題材は、「一本のペンと一冊の本」というマララユスフザイの話である。先日、教材研究に力を入れていたところ、英語の教科書の”Further Reading 2”にマララの話があることを思い出して、2クラスともこの部分の読解の授業をしてみた。

Oral Introduction でストーリー全体を英語で押さえ、ペアで概要を英語で語らせた。それを2回繰り返して、ここで開本。6分間で本文の読み込み。再びペアで概要を英語で語らせた。ペアを替えて2回させた。その後、段落毎にメインセンテンスに架線を引かせることによって、意味の中心を捉えさせた。ここまでで、1時間であるが、この次の時間は、1分で段落を深く読み込み、わからない部分をペアで交流。最後に、Story Retellingと自分の感想や意見を”I think she is 〜 because…”で語らせるつもりである。

概要をペアで話させるときに、何も手がかりがないとできないので、Keywordsと絵を入れてみた。すると、それをヒントに辿々しく単語しか言えてない生徒もいたが、2回目のペアワークでは結構話せる生徒が多くなった。