英語教育9月号を読んで

9月号はの特集は、「小学校英語指導のキホン」と「プリント課題の活用術」。

アレン玉井光江先生(青山学院大学教授)の「今、あらためて問う小学校外国語教育の意義と目的」では、日本を含むOECD加盟国は、2030年に社会に飛び出す若者にはどのような力が必要で、またどのような教育を提供すべきなのかについて、Education 2030というプロジェクトを発足させていて、その中には、「逆境を跳ね返す力(resilience)」という力がある。嫌なことがあったり、壁があると、立ち向かわずすぐに諦めてしまったり、初めからやろうとしなかったりする子どもたちが多く見受けられる中、resilienceは必要なスキルになってくると思った。また、アレン先生は、「『外国語によるコミュニケーションにおける見方・考え方』を育成するために、外国語だけではなくその背景にある文化を理解することの重要性が指摘されています。様々な人々と出会い、共生していくためには、その人たちの文化を尊重し、『敬い』、そして『共感』することが必要です。」と語っている。多文化共生を目指すには、お互いを認め合い、少しだけ我慢して生活していくことは、外国籍の生徒が50%近くいる勤務校でも常に目にしている風景である。そして、「言語には、他の人と考えや想いを伝え合うという伝達機能だけではなく、思考を形成・進化させる思考機能があります。私たちは物事を理解し、問題を解決していくために言葉を使います。」と述べている。英語を学ぶということはコミュニケーションする手段を学ぶだけではなく、思考を深めるためにも必要なのである。

西原美幸先生(広島大学附属小学校主幹教諭)の「小学校で検定教科書を活用して深い学びを達成する授業への実践」では、「児童の思いに寄り添い『聞いてみたい』『伝えたい』という意欲が高まるような相手意識・目的意識のある場面設定や必然性のある活動を大切にすることである。」と述べている。そのために、①ストーリーの重要性を意識する ②これまでの学習と関連づける→気づきを促す発問を通して教師と子供がインタラクションする環境を作ることである。 ③他教科等での学習内容との関連を見出す→朝食メニューを考えて英語で子ども同士で交流させた。「朝食名人になろう」子どもたちが「やりたい」という気持ち、「伝えたい」という気持ちを醸成するような教材づくりを目指したい。(※日本人が英語を習得するために必要な学習時間の目安は2200時間)

山中隆行先生(琉球大学教育学部附属小学校教諭)の「小学校英語 教材づくりのイロハ」によると、今回の学習指導要領の改訂により、「英語科では言語活動が再定義され、『実際に英語を用いて互いの考えや気持ちを伝え合う活動』となった。山中先生によると、教材づくりのイロハは、「イ」→Easy to Learn(学びやすいかどうか)、「ロ」→Real to Learn(教材がよりほのの(実物)に近い物から学ぶ【オーセンティック】)、「ハ」→Heart to Learn(互いの考えや気持ちの伝え合いに繋がる教材【動画教材がオススメ】)であるという。

上原明子先生(都留文科大学教授)の「子どもたちが生き生きとするTeacher Talkの進め方」では、Small Talkについて述べられている。「Small Talkとは、『2時間に1回程度、帯活動で、あるテーマのもと、指導者のまとまった話を聞いたり、ペアで自分の考えや気持ちを伝えあったりすること』。そのねらいとして、①既習表現を繰り返し使用できるようにしてその定着を図る、②対話を続けるための基本的な表現の定着を図る、の2点である。

中西浩一先生(平安女学院大学准教授)の「小学校英語の指導と評価の一体化について」によると、評価には「育てる評価」と「記録に残す評価」があるという。指導(「育てる評価」)が継続的に行われて初めて「記録に残す評価」があるということが「指導と評価の一体化」ではないかという。

内田浩樹先生(国際教養大学教授)の「バランスの良い指導のために」の第6回「ランゲージとミーニングフォーカスのバランス」では、「読んだり聞いたりするときにその単語に出会った場合には、理解はできるけれど、自分が話したり書いたりするときにはすぐに思いつかないという段階です。この段階にある語彙をReceptive Vocabulary(RV)と呼びます。一方、自分が話したり書いたりするときにも自然に使えるようになった単語をProductive Vocabulary(PV)と呼びます。何回目にしてもRVとPVを覚えられないので、自分のメモのために。また、「同一の単語に繰り返し触れる機会が必要だということです。豊富なインプットを与えることこそが、MF(Meaning-Focused Language)の役割と言えます。LF(Language-Focused Meaning)で出会った単語がまず、RVとなります。教師のトークを聞く中でそれらの語彙に繰り返し出会うことを通して、次第にPVへと移行していきます。」

西森マリーさんの「今月の時事英語」のcancel cultureでは、PCのことについて。PC(Political Correctness:政治的に正しくあること=性別や人権などの差別をしないことビジネス英語を聞いていても何度も出てくる言葉である。

萩原一郎先生(都留文科大学特任教授)と久保野りえ先生(都留文科大学非常勤講師)の「授業作りの基礎基本」の「教科書本文を理解させる」では、「開本してからの黙読と補足解説は必須」、「『それって、つまりどういうこと?』と説明させるなどが必要」、「自分らしい言葉でパラフレーズできないか考えてもらいたい」、「教科書に書かれているfactを聞きますが、次第に、inferential question(推論発問)を入れていくと、とても面白いです」、「ところで、inferential questionとは、生徒の自由な感想を聞くようなopen endの質問とは違うのですか?」、「行間を読み取る”read between the lines”的な読み方と言ったらよいでそうか。直接は書かれていないけれど、教科書本文のアル部分から推測できるような質問です」、「graphic organizerですね。本文内容を視覚的に整理してあるものに空所があり、そこに適切な語を補わせる、というものです」

本名信行先生(青山学院大学名誉教授)の「多文化共生時代に学ぶ英語」の第6回「英語は自分のことをいう言葉」では、「公共施設の案内放送や、企業や各種団体のプロモーションビデオのナレーションも日本人ではなく、ネイティブが音声を担っている場合が多いようです。日本人にその能力がないからではなく、英語は外国語というイメージにとらわれているからでしょう。私たちは早く、こういった自己規制から自由になりたいものです。英語は『国際言語』なのだから、私たちは英語をもっと多方面で使い、自分たちの活動を世界の人々にどんどん伝えていく努力をすべきでしょう。日本人の知恵や判断位は、世界の人々の役に立つことがたくさんあるはずです。そのためには、発信型の英語学習が必要になります。」、「各国の英語教育では、自分の気持ちや考え、自国の価値体系と行動規範を英語で言えるようにする訓練が重要になります」、「英語は使わなければ使えるようにならないと伝えましょう」、「私たち英語教師は日本人が英語を話すときの重圧感を生み出しているのです。生徒の文法ミスを容赦なく挙げ連ね、彼らの自由な表現を制限してしまっています。教師は生徒が英語でコミュニケートしたという事実を評価してあげれば、そのような重圧感は軽減できるでしょう。その第一歩は教師が英語間を変えることなのです

鈴木祐一先生(神奈川大学准教授)、真家崚(ミシガン州立大学大学院博士課程)、菅清隆(ミシガン州立大学大学院博士課程)によると、Story-Retelling(SR)について書かれている。SRを効果的に行う上で重要な点としては、数回行うことや、SR後にもう一度本文を読み、うまくできなかった箇所を本文と比較することなどが挙げられます。また、リテリングの際、生徒の考えや意見を一言付け加えさせてもよいでしょう生徒の考えや意見を付け加えさせる活動は、It is for toの文も習ったことなので、させてみようと思った。

「幸せへのまわり道」〜A Beautiful Day in the Neighborhood〜を観て

https://www.misterrogers.jp/

8月30日(日)にふと思い立って、この映画を観に行った。決めては、トムハンクスが出演しているということと評価が結構高いということだった。以下はあらすじ(映画.comより引用)

https://eiga.com/movie/92230/

トム・ハンクスが、アメリカで1968年から2001年にわたって放送された長寿子ども向け番組の司会者フレッド・ロジャースに扮し、アカデミー助演男優賞にノミネートされたヒューマンドラマ。雑誌「エスクァイア」に掲載された新聞記者ロイド・ボーゲルによる記事の映画化で、ボーゲル役を「ペンタゴン・ペーパーズ 最高機密文書」でもハンクスと共演したマシュー・リスが演じた。雑誌記者として華々しいキャリアを築いてきたロイド・ボーゲルは、姉の結婚式に招待され、そこで長らく絶縁していた父ジェリーと再会する。家庭を顧みず自分たち姉弟を捨てた父を、ロイドはいまだ許せずにいた。数日後、仕事で子ども向け番組の司会者として人気のフレッド・ロジャースを取材することになったロイド。フレッドは、会って間もないロイドが抱えている家族の問題や心のわだかまりを見抜き、ロイドもそんなフレッドの不思議な人柄にひかれていく。やがて2人は公私ともに交流を深めていくが……。監督は「ある女流作家の罪と罰」「ミニー・ゲッツの秘密」のマリエル・ヘラー。

2019年製作/109分/G/アメリカ
原題:A Beautiful Day in the Neighborhood
配給:イオンエンターテイメント

淡々とストーリーが進む。喜怒哀楽を感じることもない。セリフはゆっくりで私は字幕なしでも英語が聴き取れる程だった。静寂が長い。気持ちを落ち着かせて、ホッとしながら観ることができる。登場人物の心理描写が細かく描かれている。表情やセリフの言い回しからどういう気持ちなのか推し量ることができる。

トムハンクスは実在したフレッド・ロジャースという、子ども番組のメインキャスターを務めた伝説的な人物に扮している。地下鉄に乗車するとその車両に乗っている全員が国籍人種関係なく子ども時代にお世話になったその子ども番組のテーマソングを熱唱する。感動的なシーンだった。

フレッドは怒りを鎮めるためにどうすればよいか。悲しみも驚きも全て怒りから発生いている。ピアノを弾いたり瞑想したり、どうすれば心の平静が保てるのかをいつも考えている。

重い過去を持っているロイド・ボーゲルに、過去に戻って自分探しをするように何回か示唆するが、なかなか戻れない。しかし、瀕死の父親ともう一度出会い直しをすることで、すべてがリセットされ、前向きに生きていこうと決意できるようになる。

この映画を観て、何度も自分の過去のことがフラッシュバックしてきた。亡くなった父親のこと、亡くなった母親のこと、弟のこと、5人の子どものこと、連れ合いのこと、自分の家族のことをとても強く感じられた。普段クヨクヨすることが多く、辛いことばかり意識が向いてしまうが、私には永久的な存在として、自分が作ってきた家族がある。よくよく考えれば、今は子どもたちの活躍や生活環境が変わった連れ合いの生き方を見ているのが、とても楽しみである。その生きる上での喜びを心の中に呼び起こしてくれたのが、この作品だった。

感じ方は人それぞれであるが、家族を強く意識させられた映画であった。かなりオススメである。

第41回森会について

2020年8月23日に中川地域交流センターで、第41回の「森会」が行われた。今回も意欲ある英語教員が私を含めて6人集った。今回は、「指導と評価の一体化に関する参考資料」の読み込みの続きと、現在津地区で採用されている小学校英語の教科書であるNEW HORIZON Elementary English Courseを見ていくことになっていた。私は遅刻して早退したので、どこまで進んだのかわからないが、話によると、小学校英語の教科書について勉強し、「指導と評価の一体化に関する参考資料」については今回も時間がなかったとのこと。主宰者のW先生が参加者全員の5、6年生の教科書を購入してもらっていた。いつもながらとても助かる。

いつも通り、参加者の近況報告からスタートした。

Writingについて話が出た。「『週末課題』」をさせているのだが、どのように添削し評価につなげていけばよいか、思案している。」ということだった。

まず、週末課題というのは、英作文に特化して、毎週末に与える自由英作文である。生徒の発達段階や習熟度に応じて、内容を変えることができる。1年生の最初であれば、「3文、10語以上」というルールを設定して、内容は「好きなスポーツ」「好きな教科」など、書きやすく教科書などを参考にできるような題目を与えると良い。2年生や3年生になれば、発達段階に応じて、ルールや内容も難易度を上げてやると英作文の力がつく。大切なことは、毎週提出させることである。評価については、提出した子どもの変化を具に捉え、フィードバックすること、そして頑張った成果が定期テスト等で発揮できるようにアドバイスすることが大切であると告げた。自分が添削したりALTが添削したり、プリントにして配付したり、様々な方法が考えられるが、その子がやる気を持ち続けるためにどうすればよいか、「なるべく正確に」、「自分の思いや考えが表現できるように」、「なるべくたくさん書けるように」、するにはどうすればよいか、子どもたちへの評価を自分の指導に生かしていくことが大切であると語った。

小学校英語について、私が実践していることをお話しさせてもらった。筆者は週に1回道路を隔ててすぐ横にある小学校の6年生に英語を教えている。今年で3年目になる。本年度から新学習指導要領下で英語が教科化された。文科や県、市のおかげて、移行措置から力を入れたこともあり、スムーズに移行できているという印象がある。「単元を見据えた指導計画を立てること」、「単元後に成果物(またはパフォーマンス)を作成し、単元で学んだことを整理すること」がポイントであることをお話しした。毎回の授業をこなしていくと、そのまとめの時間を取ることで、単元の内容が整理でき発表につなげていくことができる。

Unit2であれば、”How is your school life?”というテーマで、単元目標は「日常生活について伝え合おう」となっている。毎時間ターゲットとなる文が決まっており、1時間目は”I live in Tsu.”など住んでいる場所。2時間目は、”I go to Keiwa Elementary School.”など通っている学校。これらのターゲットとなる文をビデオを見たり、Teacher Talkを聞いたり、Small Talkをするなどの言語活動を重ねながら、慣れ親しみ、書くところまでつなげていく。ターゲットセンテンスをまとめて書くページが教科書に用意されており、達成度が見える化されている。毎回のターゲットセンテンスをまとめていくと、単元末の活動に移行することができる。とてもいい作りの教科書(NEW HORIZON Elementary English Course 6)であると思う。指導要領に掲げられていることを教科書どおりにこなせばある程度は達成できる。

英語を駆使しながらも、わからない部分を聞き、何度も挑戦させることが大切である。「素振りを何回もしてからバッターボックスに立つ」のではなく、「まずはバッターボックスに立って、三振したら何が悪かったのか考え、練習をして、もう1度バッターボックスに立つ」というこの考えを元に、授業を実践している。

毎週毎週が戦いであると思いながら、小学校へ行っている。やはり小学校は小学校の文化があり、中学校の先生にとって見習うべき点がたくさんある。「小学校英語の上位が中学校英語である」という考え方は間違っている。小学校→中学校というつながりの線上にある教科である。筆者は学校の枠を超えて指導ができているので、とてもラッキーであると最近思うようになったので、大変ではあるが、これからも続けていきたいと改めて思い直し、そのような決意を森会の中で話をさせてもらった。

「週末課題」について

週末課題に取り組み始めて、5年くらいが経過した。きっかけは、BENESSEが主催した英語教育セミナーに参加し、実践発表を聞いたことである。石川県七尾市の小中高連携についてであった。七尾市は近隣の中学校区とその校区内にある七尾高校で連携し英語教育を行い、成果を上げている。BENESSEのGTECを受験し、苦手ポイントを洗い出し、長期的にその部分を鍛え成果を上げていった。その子どもたちの苦手ポイントが英作文であった。私の勤務校も含めどこの学校もそうだと思うが、書くこと、殊更自己表現については苦手意識を抱えている子どもは多い。この地域も他の技能より低かったようだ。その苦手ポイントを克服するために、週末課題を行おうということになった。

週末課題というのは、英作文に特化して、毎週末に与える自由英作文である。生徒の発達段階や習熟度に応じて、内容を変えることができる。1年生の最初であれば、「3文、10語以上」というルールを設定して、内容は「好きなスポーツ」「好きな教科」など、書きやすく教科書などを参考にできるような題目を与えると良い。2年生や3年生になれば、発達段階に応じて、ルールや内容も難易度を上げてやると英作文の力がつく。現在では3年生を担当しているのだが、「55語以上、10分以上、接続詞を使うこと」など、ルールをいくつか設け、出題している。ただ一つ大切なことは、毎週提出させることである。

毎週提出させることで、書くことに抵抗が無くなるし、慣れてくる。ここが最も大切なことである。英作文を嫌がる生徒は多いが、大半が「あまり書いたことがないので、書きたがらない」ことである。しかも、本質的には自己表現したいのに、成長段階からか自己表現することが恥ずかしくて仕方がない年代でもある。指導の中でも、英文や英単語を視写することが英作文だと信じている英語教員もおり、自分の気持ちや考えを英文にするということは、新学習指導要領でも目標に掲げられているにもかかわらず、現場では行われていることが少ない。考えや思いをまとまった文にするということは、難しいことである。授業の中だけではその力をつけていくには時間が少なすぎるため、週末課題を行い、step by stepで、scaffoldingを与えながら、継続的に行うことが肝要である。このstep by stepとscaffoldingのさじ加減が教員の腕の見せ所だと思っている。

さらに、「writingは、exposeすること」という主張をしているのは、動機付けの学者である、Zoltan Donyeの言葉である。「成果物を人から見てもらえなければやる気が出ない。」逆に言うと、「せっかく作ったものだから、人に見てもらいたい。」という気持ちを醸成することである。人目に触れるとなれば自ずと頑張って仕上げるものである。ジャーナル化(子どもたちの成果物をコピーして配付、またはPCで打ち替えて配付)したり、掲示したり、授業の際に読んだりすることで、exposeすることができる。

詳しくデータを取ったわけではないが、これによって、自由英作文へのハードルは相当下がったと自負している。今年度はコロナの影響で臨時休校が続いたため、9月初旬になってもまだ7回目と、数少ない回数ではあるが、三重県公立高校の入試では必ず自由英作文は出題されるため、教科書のLet’s WRITEと連動させながらも、毎週続けていきたいと考えている。提出する習慣が付かない生徒が若干名いるが、Slower Learnerも私が提示した例文を写すだけでもよいと励ましながら、毎週提出するよう促している。

形成的評価は指導の途中で行う評価で、指導の改善に生かします

「英語教育8月号」(大修館書店)を読んで

1 「世界的ウイルス感染時代に英語授業でできること」三浦孝(静岡大名誉教授)

生徒が欲しているのは赤ペン添削よりもむしろ、自分の文章に人間として暖かく反応してくれる人の存在である。

もちろん、赤ペン添削の人間として暖かく対応しているのであるが、ここでは、赤ペン添削をしてくれる先生も時間がないという理由で増えてきていると、著者は言いたい。やらせっぱなしが非常に多いと感じる昨今、面倒だし忙しいけど、一生懸命仕上げた成果物は心を込めてみてあげたい。

2 「ゆずれない音読の意義とは」萩原一郎(都留文科大学特任教授)、久保野りえ(都留文科大学非常勤)

今回は音読の重要性について、またしても、自分の実践を裏付けるコメントが多かった。

自分で綴りを見て、音声にできるとは限りません。読んでいる所の字を指で辿らせたり、スクリーン上で徐々に文字を示していったりします。

すぐに、Chorus Readingをしてしまうと、周りにつられて読んでいるだけで、本当に自分はその単語の綴りを音声化できているのかわからない。音と綴りの一致をしっかりさせることが大切。

意味をしっかりとっていくのには、音読より黙読が有効です。

これも、このブログで何回か主張していることであるが、音読しながら意味を取るのは難しい。特に、初学者にとっては困難である。音と綴りを一致させるために、脳のメモリーが使われるので、意味解釈まで辿り着かない。意味理解をさせた後か意味がわかるようになるまで何度も何度も音読をすればできるようになると思うが。ギターを練習している人に弾きながら歌いましょうと言っても、すぐには無理だというのと似ている。それでも、敢えて、一体音読する意味とは?

声を出して読んでいるので、翻訳しながらの返り読みにならず、自然と頭から意味を取る、直読直解につなげられる。音読しているときに意味を頭からとっている。音本文の内容を扱う前にまず一斉音読というのは、文章に全員の目を向けさせる役割はあっても、これでは意味をとりながらの音読にはなりません。これでは意味を取りながらの音読音読と同時に意味を早期していくのは、慣れない生徒には難しいようです。【私はなぜかできません。】音読が「空読み」音読が担っている高校生をかなりみてきました。

スピーキングやリーディングにつなげるための活動として、一体音読をすることが非常に効果的であることがわかった。できるようになるまで、スモールステップで取り組ませることにする。

音読の基本的な流れ ①Model Reading ②Chorus Reading. ③Buzz Reading ④Individual Reading

さらに、Michael Westが提唱した”Read and Look Up”と穴あき音読

Read and Look Upは、①生徒は教科書を開いて机に置く。②先生がReadと言ったら、1行だけを黙読。③先生も一緒に黙読しLook up.と声をかける。④生とは顔をあげて、教科書を見ずに今黙読した1行を言う。

1行黙読するときに、英文の構造も、意味も頭に入れるようにします。英文を言う際には、詰め込んだ物を吐き出すのではなく、頭に入れた意味を、自分で言っているかのように、聞き手に向かって話しかけるように言います。

Read and Look Upも穴あき音読もやってきたが、今ひとつ効果を感じることができず、授業の活動としてはあまりしなくなってしまったが、もう1回見直してやっていこうと思う。「1行黙読で、英文の構造と意味を頭に入れるようにする」という部分が自分におちた。これを繰り返しやっていけば、「一体音読」もできるようになり、引いては直読直解に直音読直解につなげられるかもしれない。

3 「スローラーナーと向き合う心構え」 飯田勇人(越谷高校教諭)

学びについての研究を行うアーリック・ボーザーは、学習意欲の究極の燃料は学びの対象に価値を見出すことでると述べています。学習している内容が意義を感じられるものであり、情熱を掻き立てるものであれば、生徒自ら学習に一歩踏み出してくれるはずです。Big Project(正解のない課題)を取り入れます。BigProjectによる探究活動を通して、世界の課題に対する生徒の問題意識を高めていきます。生徒の学習意欲を駆り立てるような感情を揺さぶる課題設定ができれば、主体的に学習に取り組むことができるでしょう。

私たちは、「教科書を教える」のではなく、「教科書で教える」のだから、教科書をもっと読み込んで関連した記事や資料を用意する必要があると感じた。教科書中心に授業を展開するのだが、そこには内容に関連した、考えたり、資料を使ったり、また、調べたことを発表したりする(思考力判断力表現力)活動をもっと入れて行った方がいいなと思う。

4 「遠隔指導や距離を置いた従来型対面授業での評価」小泉利恵(順天堂大准教授)、鈴木駿吾(ランカスター大博士課程)、濱田彰(明海大講師)

5 「形成的評価を中心とした見取り」町田智久(国際教養大准教授)

形成的評価の重要性について、2つも記事が投稿されていたので、改めて認識する必要があった。

学習評価は形成的評価と総括的評価に分かれます。形成的評価は、その診断情報を学習指導・支援や指導改善に使うことを主な目的とし、児童生徒の学習の途中で行います。コロナ禍のような状況だからこそ積極的に進めたい、学習のための評価です。例えば、評価結果を生徒に返却し、次に行うべき学習内容を考えさせることができます。総括的評価は、どの程度学習が進んだかを、形成的評価の結果も含めてまとめるもので、観点別学習状況の評価・評定として通知表・指導要録に記入します。

一般的に、評価には2つの方法(総括的評価と形成的評価)があります。「総括的評価」は、単元や学期の最後に実施し、児童の学習成果を測る方法です。中学校や高校の中間・期末試験がわかりやすい例です。小学校の単元末テストや復習テストもこれにあたります。一方「形成的評価」は、指導の過程で実施し、児童の学習の進捗を図る方法です。児童の理解状況を観察から把握したり、ポートフォリオを活用したり、児童の自己評価を取り入れたりしながら評価します。児童の学習の進捗を測ることで、教師の指導の方向性を修正できます

6 森のメモ

日本語の否定と工程を入れ替えて英訳すると完結になるケースが時々あります。

譲歩を表す副施設中では未来の内容も現在形で表す。

disabilitiesではなく、different abilities

政治的に正しい(political correct, PC)

私はHSP(Highly Sensitive Person)です。

「気がつきすぎて疲れる」が驚くほどなくなる「繊細さん」の本 武田友紀著 飛鳥新社を読んで。

私はHSP(Highly Sensitive Person)である。やっとそのことがわかった。だから生きづらかったんだ。まずは長女から今日紹介する本の前作を紹介されて、読んだことが気づくきっかけになった。長女もHSPである。この本に出会う前は、人間関係やコミュニケーションの取り方など悩み苦しみ、たくさんの本を読んだりしたが、その本に書かれていることを実践してもあまりピンとこなかったことが多い。本作は、「繊細でストレスを感じやすい人が、繊細な感性を大切にしたまま、楽に生きる方法」が書かれている本である。

HSPは生まれもった気質である。「職場で機嫌が悪い人がいると、気になって仕事が手につかなくなる」「相手の気持ちを考えすぎて、自分の意見が言えない」「定時で帰れる簡単な仕事でさえぐったり疲れてしまう。自分にできる仕事はあるんだろうか」「これからどうやって生きていったら」このような感じ方をする人がHSPであり、たぶん非・HSPの人は上記のことは何も気にならないはずである。

考えすぎて動けないとき、合言葉は「ベストはさておき、とりあえず!」で前へ進むこと。

頭の中でグルグル回り始めてぐずぐずになってしまって、行動が止まってしまうことがある。最近は、その言葉を繰り返しながら、とりあえず、できることから始めて、できるところまでするようにしている。

気づかないよう自分を作り変えることではなく、「気づいたことに対する対処の仕方」を考える

苦手な人に嫌なことを言われると、その言葉が耳から離れず、悩んでしまうことが多い。非HSPの人からは、「聞き流せばいいのに「気にしなければいいのに」「笑い飛ばせばいいのに」「無視無視」と言われる。どれもできない。

「気づいたことに半自動的に対応し、振り回されている」らしい。

繊細さん(HSP)にとって最大の罠は「相手の“わからない“という感覚がわからない」ことなのです。

全くその通り。しょっちゅう連れ合いに、「自分だったら絶対にそんなことせんけどな。」と愚痴っている。すると、連れ合いは、「その人はお父さんじゃないんだから、わかるはずがない。」と言う。私は相手のわからないという気持ちがわからない。だから、悩んでしまう。

「私だったらもっと言い方に気をつけるのに」価値観や考え方は人それぞれ、とはよく言いますが、繊細さんたちが直面しているのは、価値観や考え方の土台になる感覚そのものの違いです。繊細さんたちのコミュニケーションには、言語外の情報が数多く含まれます。「なんで、あんなに無遠慮なんだろう!」「私だったらあんなことはしないのに。もしかして嫌われているんだろうか?」でも、世の中を見渡してみると、繊細さんの「ごく自然に配慮する」というする」と行いのほうがハイレベル。配慮するのが苦手な相手に対して「配慮してくれないなんて、なんてひどい人なんだ」と憤慨するのは、向こうからすると、めちゃくちゃな言い分なのです。そう思ったら、「なんで?」と思う前に、相手がそれをそもそもできるのか?という視点で相手を観察することが必要です。やってほしいことを言葉ではっきりお願いする。すっきりした関係に落ち着いたそうです。

「相手も自分と同じように感じているはず」と思って非・繊細さんに接すると、思わぬすれ違いが生じ、誰も悪くないのに傷ついてしまう。「わからないわけがない」「わかろうとしてくれないだけだ」

といつも思ってしまうので、わからない人もいることをわかろうとする努力がいる。

人間関係の基本構造とは、「表に出している自分」に合う人が集まってくる、というシンプルな事実です。つまり、「本当の自分」を抑えて殻をかぶっていると、その「殻」に合う人が集まってきてしまうのです。表の自分を出せば出すほど、自分に合う人が集まって楽になるのです。これまで強く自分を押さえ込み、相手を優先してきた人が自分の意見を言い始めると、「人間関係の入れ替わり」が起こります。本当はあなたに合わない人たちが去るのです。人が離れることで、一時的に寂しい思いをするかもしれません。素の自分を出すにつれ、このように人間関係の入れ替わりが起るので、伸び伸びと自然体でいられる関係が増えていくのです。

自分を変えようと努力したことが何回もあった。自分が悪いと思うことも何度もあった。何冊も本を読んで、自己啓発セミナーにも行こうと思ったことがあった。特に、病気のときはそれを始終考えていた。しかし、それはすべて徒労だったということがこの本を読んでわかった。生きづらい自分も含めて、素の自分だから、その自分に集まってきてくれる人だけを相手にすればいいことがわかった。もちろん、難しい人とは距離を置いて。

「誰かのことを嫌いって思ったことはありますか?」相手を嫌えないがゆえに、人間関係に苦労する繊細さんがいる。「キライ」を封じていると、依存されたり相手から過度に干渉、要求されたりと、かえって人間関係がこじれてしまうのです。繊細さんは感じる力が強く、「なんか変な感じ」「合わなそう」などと感じています。これまでの人間関係を振り返ってみて「変だと思った相手とは、やっぱりこじれる」と言う人は、第一印象を信じてください。変だと感じたら不用意に近づかない、しばらく様子を見るなど、警戒が必要です。コツは、問題が起きていなくても、最初から近づかないこと。嫌いを禁じることで、かえって苦手な相手との距離が近づいてしまうのです。あたたかい人間関係を作るには、苦手な相手をきちんと嫌って遠ざけることが必要です。

私は感じる力が強いので、初対面でもこの人と合うかどうかわかる。わかっていながら、その人との距離を詰めようとしてしまう。仕事や趣味など、物事が円滑に進むように努力してしまうみたい。人間関係を誰とでも円滑にする必要などない。距離を取ることが大切であることがわかった。

言語外の情報も細やかにキャッチするため、相手と境界線を引く必要があります。テレビ画面の向こうの人が話している、とイメージする。相手との間に透明な壁をイメージする。繊細さんは、相手が投げてくるボールを拾わずにはいられないことがあります。相手の話を聞いていて疲れを感じたら、その人はテレビ画面の向こうの人だとイメージしてみてください。相手の感情が強い時は、自分と相手の間に、あの分厚くて透明なアクリル板を下ろすのです。相手との間に物を置くのです。「ここが、あなたと私の境界線です。」と意識しながら、相手と自分の間にペンを置いてください。相手の話を聞き続けるのがしんどいなと思ったら、椅子の背もたれまで体を引くのです。

私のようなHSPは、相手との距離を取ることが苦手で、自分に向けられてなくても、相手の悲しみや怒りなどを感じ、ぐったりしてしまうことがある。感じやすいのだから、相手からの情報をキャッチしないようにしないと。

「人に頼るのが苦手です。」「相手のことを考えるとなかなか頼れない」と話す繊細さんはたくさんいます。元気に生きるためには、周りに頼ることがとても大事。自分でできるからって全部自分でやろうとせず、人に頼る。大変な時だけでなく、日常的に頼る。相手の状況を推測せず、言葉で確かめる。「◯◯してほしいけど、どうかな?」と聞いてみる方が断然確実で早いです。「無理そうだったら言ってね。」と一言付け加える。相手を心配しすぎるのは、実は相手の力や判断を疑う行為です。かなえてもらったら満面の笑顔で「ありがとうございます。助かります〜!」と言ってみましょう。繊細さんにしてほしいのは、「ちょっとしたことを、軽く頼む」練習です。「ちょっとお願い⭐️」は、繊細さんの人生を支える言葉。

私は本当に頼むのが苦手。逆に、「自分1人でできることを人に頼むなんて、ありえない。」と思っていたし、「こんなことくらい1人でできるやろ。なんでみんなを巻き込んでするの?配慮も足りないし、仕事のできない人だな。」と陰口を叩いていたりした。間違っていた。相手を一切頼らないことは相手を尊重していないことにつながることがやっと今頃になってわかった。最近、人に頼る練習をしている。印刷くらい私に5分あったらできることなのだけれど、自分1人でできることでも、人にお願いしてやってもらっている。「こんなことお願いして大丈夫だろうか!?」とひたすらいい気分はしないが、練習のつもりで頑張っている。相手に頼ることは相手を尊重することなのだ。「忙しくない?大丈夫?」と「ありがとう。めちゃ助かった。」というメッセージを忘れずに言っている。

自分の居場所は、まず、自分の中に作ることが必要なのです。何か大変なことがあったら、「こんな自分はダメだ」と責めるのではなく、「つらいなあ。よくがんばってきたな」と自分を慰め、いたわる。自分の中に、自分の居場所を作ること。自分の味方でいること。それが人とあたたかく関わるために1番必要なことなのです。

「自分の味方でいること」という言葉がとても印象的。自分の味方でいるためには、どうすればいいのだろう?失敗したり苦しかったりしても、「よくがんばっているよ。」と常に自分に声をかけることが大切なんだろうなと思った。

繊細さんは非・繊細さんより多くの物事に気づくため、気づいたことに片端から対応していると、処理する量が単純に多くなり疲れ果ててしまうのです。そのため、気づいたことに半自動的に対応するのではなく、対応すべきものと放っておくものを自分で選ぶ必要があります。

私はいつも忙しい。仕事でもプライベートでも忙しい。プライベートは仕方がないにしても仕事はゆったりしている人も多いので、自分がバタバタと動くのはなんかおかしいなと思っていた。「半自動的に対応」はすごくよくわかる。今の私は、「半自動的に対応」しない人の方を、心の中で責める傾向にある。子どもに関わることでなければ、ゆっくりやろうと思う。

繊細さんは、周りの人の感情に気づくからこそ、なんとかしなければと「明るく声をかける」「不機嫌な相手ほど手厚く対応する」といった行動をしがち。でも実は、そうやって対応すればするほど、相手は繊細さんに寄りかかります。誰かの機嫌が悪いと気づいたら、「機嫌が悪いんだな!」と思うにとどめ、あとは放っておいてください。お手洗いに立つ、他の場所で作業するなど、できるだけ相手から離れましょう。不機嫌な人のそばで行動したら、不機嫌な相手をケアするのではなく、穏やかな人と話す、女性ならハンドクリームを塗るなど、自分をケアする行動をとってみてください。

機嫌の悪い人の近くにいると、ドキドキするし、「自分がその人の機嫌を損ねたのではないかと原因を探したりする」自分がいる。まずは、その場所を離れてること。そして、「その人は今機嫌が悪いんだな。」と思って放っておくこと。

「人は、自分のままで生きると元気だ」繊細さんには共通する強みが5つあります。感じる力、考える力、味わう力、良心の力、直感の力です。感じる力では、仕事においては他の人が気付かない小さなことにも気づく、問題点を察知するといった形でも現れます。良心の力では、信じることに真摯に取り組む。自分の納得と相手への誠実さを両立させて、大きな力を発揮する。自分の納得と、相手に誠実であること。この二つを両立したとき、繊細さんは仕事で大きな力を発揮します。直感の力では、直感を使うことで、問題点にいち早く気づける。繊細さんは本屋でタイトルを見るだけで自分好みの本を選ぶことができる。

確かに、人から素晴らしいと言われても、自分が納得できなければ、満足が味わえず、自分で納得していても、人から称賛を得られないと、不快な気分になる。自分の納得と相手への誠実さ両方がないと力が発揮されないというのは本当である。両方が両立しないと、「何かおかしいな」という気持ちが絶えず自分を取り巻くような状態になってしまう。

自分の「こうしたい」という思いを感じ取り、一つ一つ叶えようと行動することで、「私はこれが好き」「こうしたい」と、自分の軸が太くなっていきます。自分の軸が太くなるにつれ、相手の感情や意見に左右されにくくなり、人の中でも楽に過ごせるようになる。やりたいことができるようになる。繊細さんは、自分の本音を大切にすることでたくましくなっていくのです。嫌なものや不快なものなど、自分に必要ないものをスーッと流せるようになります。自分を雑に扱う人と距離をとり、自分に合わない職場を選ばないようになるからです。

自分のやりたいことをやる。我儘くらいでいいのかもしれない。

自分の本音を知る方法は3つ。一つ目は言葉を手がかりに読み解くこと。二つ目は、繊細な感覚を感じとること。そして3つ目は、自分自身と対話することです。こうしたい」は、本音の可能性がありますが、「こうしなきゃ」は、世間の声。窮屈な感じがする、暗い気持ちになる、義務感がある、のならば、少なくとも「今は」やりたくないのです。繊細さんによくあるおは、頑張りすぎて疲れ果てているケースです。やりたいことが、「眠りたい」「休みたい」でもいいのです。ゆっくり眠りたい、休みたいなどの気持ちが出てきたら、どうか自分を休ませてあげてください。やりたいことをやると、心身にエネルギーがたまります。

これも連れ合いからよく言われる。「好きなことですら、『やらなくちゃ』っていうんやな。全部義務感で動くの?楽しくないね。」確かに。やりたいことが山積していて、それを一つ一つこなすだけでかなりの気力が消耗してしまっている自分がいる。もっと、したいことを絞って、本当にしたいことだけにゆっくり時間をかけないとと思う。

「あの人、苦手だな」と思ったら、自分からは近づかない。「ゆっくり眠りたい」と思ったら、休みの日に思う存分眠る。「公園にお散歩に行きたいな」と思ったら、家事も資格の勉強も一旦お休みして、足を伸ばして行ってみる。うれしい、楽しい、ほっと安心する。毎日の小さな本音を叶えることで、心が充電されていきます。

Oral Introduction が改めて大切であることを実感しました

1 「日常の中の英文法ー街角の「おかしな英語」に着目して、」唐澤一友(立教大教授)

 複数の数字が続く場合、Nos. 7 and 8「7番および8番」のように、複数形Nos.(numbers)を使う必要がある。この種の表現は、Cars 2-4「2〜4号車」やRooms 10 and 14「10号車及び14号車」等のように、日常の中で応用が利く便利なものである反面、

Cars 2-4は新幹線のアナウンスで聞いたことがあるが、Nos.やRoomsと複数形にして表すことはあまり馴染みがなく、今回初めて知った。

2 「休校のあった小学校で新課程初年度をどう仕切り直すか」直山木綿子(文科省視学官)

言語活動の定義について、再確認した。何度見ても覚えられないし、実際に授業ではやっているものの、定義を思い出すことができない。

「『小学校外国語活動・外国語研修ガイドブック」(2017文科省)では、「言語活動は、言語材料について理解したり練習したりするための指導と区別されている。実際に、英語を使用して互いの考えや気持ちを伝え合うという言語活動」と記されている。

3「教科書本文の扱い方」(萩原一郎(都留文科大学特任教授)、久保野りえ(都留文科大学非常勤講師)

Oral Introductionについて。私の実践を図らずもいつも強化してくれる記事が多いので、とても心強い。英語自体から意味を取る回路を自然に生徒の頭に作るようにしたい。(苦手な生徒)彼らこそ自力で教科書を読むことが難しいので、Oral Introducutionでイメージをつかませることが重要。OIのポイント。①最初に文を見せるのではなく、音と視覚資料から入る。②絵やジェスチャー、馴染みのある外来語や既知の単語を使って、生徒に英語で語リ、場面を理解させる。できるだけ、生徒とやりとりしながら、場面の理解に導く。登場人物になったつもりで、その場面を演じてもよい。④理解を助けるために、教科書通りに拘らず、その場面らしい文やセリフを付け加えるとよい。⑤表情や言い方のトーンで理解を助けるようにする。⑥音声で理解したものを、今度は開本して綴りと結びつける。初学者はこの段階ができないこともある。

4 English Beyond Words: The Culture of American English④ English is structurally Individualistic (J. Reese)

文化や言語特性から主語を入れない日本語とあまり主語の省略のない英語が対比されている。individualistとcollectivist culturesの違いであると言われている。英語が前者で日本語は後者。Language spoken in individualist cultures tend to require speakers to use the ‘I’ pronoun when referring to themselves; languages spoken in collectivist cultures allow or prescribe dropping this pronoun. 従って、that’s why I (the author) recommend Japanese students get comfortable using. ‘I’ as soon as possible when they start speaking English… have to start every sentence with ‘I’である。確かに、海外ドラマも映画も会話では、’I’で始まるセリフが多い。

コロナ禍でもいろんな工夫をしながら、森会の英語教員は頑張っています。

7月19日(日)に中川地域交流センターで森会が行われた。今回が第40回になると言う。ここまで盛り上げてくださった会員の皆様には敬服するとともに、会員に連絡、会場の予約、テーマの設定などいつも事務作業をしてリーダーシップをとって下さっているWさんには頭が下がる思いである。これからも50回、100回目指して継続していけると、みんなの力になっていいなと思う。

今回も「指導と評価の一体化に関する参考資料」の読み込みをする予定だったが、1学期の参加者の取り組みを発表し合って時間切れで終了となった。それもそのはずで、参加者みんながコロナ禍で苦労しながらもさまざまな工夫を凝らし、一生懸命準備をして、もがきながら授業を行っていることがわかったからである。

I先生はランダムな席の配置に取り組んでいる。どんなパートナーともペアワークができなければならないし、それが引いては「クラスづくり」にも結びついているとのこと。授業前には、テレビ画面にランダムに表示された座席が映し出され、その通りに子どもたちが着席する。ランダムに表示される機能はEXCELのマクロを使ってプログラムされたものを使用しているのだそうだ(同僚のSh先生の手作り)。コロナ禍での席の工夫も話題に上がった。ソーシャルディスタンスを保ちながら、ペアワークをするにはどのようなことに気をつけたら良いのだろうか。英語の授業とはいえ、例外ではないはずである。

T先生は同じ学年を担当する英語の先生との授業の持ち方について、話題に上がった。「話す」活動と「書く」活動のバランスについて。クォリティのかなり高いプリントを使用しての授業。あまりにもスタイルが違いすぎて、また、パートナーの先生の授業があまりにも素晴らしいので、自分の授業がちっぽけに見えてしまうという話だった。学期初めにテストを作成してそれを渡しておくこと。これにより、教える内容の差が小さくなる。さらに、プレテストを作成しテスト2週間前に生徒にさせて、テストの方向性をしっかりと定めておくこと。パフォーマンステストを何回か行い、定期テストだけで成績を決定するのでは無いことなどの意見が出た。

S先生は、本会の会員でもある、全英連授業者のSh先生の授業を参考にして、PPTで本文の導入をOral Introductionしている。デジタル教科書を使用しながら自分で明示的に文法説明をせず、デジタル教科書内の外国人講師Stuart先生の説明を委ねている。授業に参加している特別支援学級の生徒たちにどのように関わればよいか悩んでいると言う。なるべくペアワークやグループワークを増やして、先生が教え込んだり支援員が手伝ったりするのではなく、生徒同士で支援し合うことが大切な旨をアドバイスした。子ども同士で学び合うことが基本である。その方がわかりやすい。

最後に、W先生。iPadを使って授業を行なっている。PPTを駆使してのOral Introductionや絵を映し出し「自己表現」活動につなげ、Review Sheetに書かせている。また、発音が焦点化されて構成されているpartがあるため、焦点化された発音を取り上げ、何度も何度も言わせて定着させようと試みた。毎回本文を扱うときに、1つか2つの発音を取り上げ、焦点化して練習していくとよいと話した。また、集中してもすぐに発音への気づきが薄れていってしまうため、何度も何度もスパイラルしながら、同じものを繰り返し練習することが大切であることを付け加えた。

今回もかなりいい学習会になっていた。それぞれが1学期に行った実践を紹介するだけで、自分を振り返るいい機会になっている。もっと刺激をもらって自分の学びにつなげていこうと思う。

星を継ぐもの ジェイムズ・P・ホーガン 池 央耿(訳)を読んで

小説はネタバレするのであまり書きたくなかったが、自分の感想文と読んだ本の記録として載せることにした。

【星雲賞受賞作】
月面調査員が真紅の宇宙服をまとった死体を発見した。綿密な調査の結果、この死体は何と死後五万年を経過していることがわかった。果たして現生人類とのつながりはいかなるものなのか。やがて木星の衛星ガニメデで地球のものではない宇宙船の残骸が発見された……。ハードSFの新星が一世を風靡した出世作(Amazon解説より)

人型宇宙人が地球人と似ているのは、パラレルワールドが存在したからかもしれない。私たち人間が今存在しているのは、46億年地球が誕生して経過した時間の中で、奇跡に近いことだと言われている。長い時間かかって進化が行われ、今のような人間が存在することになった。進化している段階で、枝分かれしている段階で、別の隔絶された世界に、生物が送り込まれていたらどうなるのだろう。

SFの名作だそうだ。さまざまなことを考えさせられた。前半は我慢して読む必要はあるが、後半はあっという間だった。おもしろかった。

退職後に気をつけなければならないことがわかりました。

 実践ビジネス英語6月号 Lesson 5 「増加する退職後も働く人たち」Unretirees on the Riseを2週間聞いて

 今回のタイトルから、私にも他人事ではなく、興味をもって内容を聞くことができた。内容は、勤続41年の先輩が退職し(一生同じ会社で勤め上げる人はアメリカでは珍しい)、再就職せず、妻と100日間世界一周クルーズに出るという話。

 「引退は、誰もがいつかは経験しなくてはならないことです。人生で最も難しい時期は、初めて就職するとき、結婚するとき、子供を持つ時、そしていよいよ引退する時だ、と言われます。」(テキストより)

 62歳まで段階的定年延長になり(私の1歳下は63歳、1歳上は61歳)、あと7年半、それまでに考え方をしっかりまとめておく必要がある。「何がしたいのか(引退後)」「(そしてそのために)今どうすればいいのか「(そうなるために)どう考えたらいいのか」を少しずつ考えていこうと思っている。

There are more “unretirees” these days. 今は、「退職後も働く人たち」が増えている。

Work helps them stay mentally fit by preventing boredom or depression. 働いていれば、退屈したりふさぎ込んだりないので、精神的に元気でいやすいですからね。

About 20 percent of people 65 and older are now working. 65歳以上の人たちのおよそ20%は、現在働いている。

Many of them switch from full time to part-time employment. そういう人たちの多くは、フルタイムの雇用からパートタイムの雇用に切り換えています。

These days the trend is toward a more active form of retirement, one that includes time for both work and personal pursuits or leisure. 退職後の生活の今の傾向は、もっと行動的なものに、つまり、仕事の時間と個人的な趣味やレジャーの時間の両方を含むものに向かっています。

Successful retirees usually have strong social networks that gave their lives structure, as well as let them lives friendships and take part in fulfilling social activities. 退職後も元気でいる人は、普通、強いソーシャル・ネットワークを持っていますね。そのつながりによって、生活にメリハリがつくだけでなく、交友を楽しんだり、充実した社会的な活動に参加したりすることができるのです。

前にも「ガッテン」で見たことがある。友達が多い人は長生きの人が多いという特集である。友達が多ければ、コミュニケーションを取ることも多くなり、ボケたりせず病気になるリスクも軽減するのだとか。私は多趣味だが1人でできる趣味が多く、人と交わるのを極力避ける傾向にあるので、これからは信頼できる人は数人でいいが、遊び友達をたくさん増やしていこうと思う。

そう言えば、Quote UnQuoteのコーナーに、素敵な言葉があった。私も常に心がけていることである。To prepared is half the victory. (準備をしていれば、半ば勝ったも同然。)柔軟性を保ちながらも、用意を周到に行うことが、小さな成功の秘訣である。その小さな成功の積み重ねが大成功を生み出すのである。