曖昧性に耐えることが英語を粘り強く聴こうとする態度を養うことにつながることがわかりました。

「開始直前 小学校英語のスタートにこう備えるーONE TEAMで進める小中連携【加藤拓由 岐阜聖徳学園大学准教授】〜英語教育2020年2月号(大修館書店)を読んで

 私は週に2時間(昨年度は週4時間)小学校で専科の先生と授業をさせていただいている。稀に、「ALL ENGLISHで授業を進めても子どもが理解できていなければ意味がない。」と授業の参観者からご批判をいただくことがある。ある意味では、「そうかもしれない。」と思うこともあるが、他方、簡単な単語を使用し身振り手振りも加えながら、ゆっくり発話しているので、理解可能な英語であるという自負もある。

 もう一つ、ALL ENGLISHで授業を行う大切な理由がある。それが、「曖昧性に耐えながら粘り強く英語を聞こうとする態度を養うことである。」どれだけ深く英語を学ぼうとも会話全ての内容を理解することは難しい。一つ一つの単語をキャッチしようとするがばかりに、会話の内容全体をつかむことが難しくなってしまうことがある。「何を言おうとしているのだろう?」「こんな内容かもしれない。」と推測しながら聞くことで、内容を捉える力がついていくと考える。特に、小学生のような初学者には必要な態度ではないかと思われる。

 加藤先生は、記事の中で、次のように書かれている。

 「小学校では児童に言語材料を提示する際に、場面や状況を工夫し、音声情報に加え視覚情報を効果的に活用しながら、児童に推測して聞かせるようにします。例えば、教科書の絵を見てListenの問題に答える際にも、小学校の先生は、絵に関して英語で簡単なやりとりをします。“What animal can you see? Can you see a cat?Oh,do you like cats,Tomoko?“ などと教科書の活動に入る前に,児童とやりとりをし,レディネスを十分に高めておきます。推測しながら聞く経験を重ねることで,小学生でも,曖昧性に耐えながらまとまった英語を粘り強く聴こうとする態度が育ちます。」

 このことは,中学校英語でも同じことが言える。ALL ENGLISHで授業を進めるなど,たくさんの英語のシャワーを浴びせることで,多量のInputから少なからずIntakeさせ,受容できる英語や発信できる英語を増やそうとする目的で指導する。しかし,Inputの時点で,曖昧性に耐えられず粘り強く聴こうとする態度が備わっていないと(わからなくても、わかろうとして聞く努力を続けないと)、受容や発信できる英語は増えていかない。

 この「粘り強さ」については、新学習指導要領での評価規準における「主体的に学ぶ態度」で評価されるhttp://misakiayuna.com/2020/02/11/revised-cs/ので、これからはしっかりと養っていかなければならない態度の一つである。

「自分は何のために生きているのか。」自問自答しました。〜「生き残る技術」野村克也著を読んで〜

 「自分は何のために生きているのか。」自問自答してみた。野村さんは人からたくさんと関わりながら、人から様々な援助を受けながら、生きているから、「自分は人のために生きている」という答えだった。「人から支えられ、人を支えて、生きているからこそ、度重なる難局を乗り越えて、『生き残っている』。」と野村氏は言う。私は5人の子どもに恵まれ、教え子のマルチクリエーターのF君からは、「偉大な人間はどれだけ自分のDNAを残せるかだから、そういう意味で先生はまず偉大な人だと思う。」と言ってくれる。「人からあまり支えられていると感じない」のは、きっと「人をあまり支えていない」からかもしれない。身近な人の成功をサポートすることで、自分への成功にも近づいていけるのではないかという気がしてきた。これからもあまたの困難にぶち当たることがあるが、そこから生き残るには、人を支えることにもう少し力を入れた方がいいと思う。

 私が印象に残った野村氏の言葉。

 「人は調子が悪くなると、どうしても「自分の何がいけないのか?」と思考が内向きになりがちだ。でも、そんな時こそ視点を自分の外に置き、客観的に自分を眺めるようにすることが大切である。そのためには、常日頃からいろんな視点で物事を捉え、考えられるようにしていくといいと思う。」←こういう時は一生懸命考え、がむしゃらに解決するための努力をすることがあるが、自分の中には、解決する手立てがない場合が多い。俯瞰的にみることが必要であることがわかった。

 「苦手を克服しなければいい結果は出せないし、生き残っていくこともできない。」←常に苦手を克服するために努力は続けている。

 「この世で図太く生き残っていくのは、ポジティブシンキングの人ではなく、ネガティブシンキングの小心者の方である。」「ネガティブシンキングの人は、失敗を恐れ、失敗の原因を考え、次に失敗しないように努力する。」←まさに、自分のことだと思った。

 ヒンズー教の教え「心が変われば態度が変わる。態度が変われば行動が変わる。行動が変われば習慣が変わる。習慣が変われば人格が変わる。人格が変われば運命が変わる。運命が変われば人生が変わる。」←この言葉に何度も出会うが忘れてしまっている。日々の努力が大きな成功につながるということで、私は常にこれを目指している。

 「不器用な人は、『どうやったらそれができるのか?』を真剣に考え、それを実現させるために試行錯誤、工夫を重ねる。この試行錯誤、工夫といった経験は、何物にも変えがたいその人だけの財産である。」←これもまさに私のことで、不器用で何もできないから、毎日コツコツいろんなことに努力を続けて、できるように挑戦している。

 上杉鷹山の残した言葉に「為せば成る 為せねば成らぬ何事も 成らぬは人の為さぬなりけり」目標を立て、それを達成していくコツ。それは、大きな目標を達成するための「小さな目標」をいくつも立てることだ。そして、その小さな目標を最低でも4ヶ月は続けてみる。←努力を続けられることが天才の条件であると聞くことがある。まず一つ一つ小さなことから努力を続けること。

 「本人の立場を尊重しつつ、『相手にどう伝えれば響くか』『どう伝えればわかってもらえるか』を常に考えて接する必要がある。←私はこのことを対生徒に置き換えて心にしまった。

 「結果至上主義の世の中では『法を破らなければ何をしてもいい』というような短絡的な考え方に陥りがちだが、リーダーにはその前にもっとやらなければならないことがあるのだ。」←私はニッチばかりを探して、ずるに近いことをしてしまうことが多い。それも作戦ではあるが、やはり人と一緒になって悪口を行ったり体制を批判したりしないで、私だけはリーダーとして王道を行くことも大切であると思った。

 努力を闇雲にすればよいのではなく、正しい努力をすること。間違った努力を続けても結果に表れることはない。←闇雲に間違った勉強方法で勉強しまくっても成績が上がらなかった中学時代を思い出す。

 流れをつかみ、巡ってきたチャンスをものにするには、「気配り」、「目配り」ができるようになればいい。小さなことからコツコツと積み上げることが大切。←気配りや目配りは人の何倍もできるのに、それを実践することができない。感じたら実践すること。

 何度も何度も色々な書籍に当たる度に、自分に言い聞かせてきた言葉が出てきた。再確認させてもらった。

臨時休校中にYoutubeで授業をやってみた

 臨時休校中に家で待機している子どもたちに学力保障してあげられないか、考えていた。スポーツ選手や芸能人が在宅でもできることや運動をインターネットにアップしていることやビジネスマンのリモートワークを見ていると、Youtubeで授業を配信するのも一つかなと思い、やってみることにした。勤務校もYoutubeに公式チャンネルを作るなどして、本腰を入れて取り掛かるようだ

 その先駆けとしてやってみたが、満足のいくような授業はできない。一昨日の授業動画。

 本文の内容をディクトピクスでリテリングさせようと思ったが、果たしてやってくれるかどうか。授業時間中はタイマーを使って、何分かとりながらステップバイステップでするのだが、録画時間の関係でそうもいかないので、「ここでいったん停止をして、作業をしてください。」などと言いながら、録画を進めることもある。昨日の動画。

 少しこなれてきたが、今ひとつ。在宅で暇をしている子どもたちに暇つぶしになり程度かな?思い切って、塾のような授業にしてみようかなと、制限時間の15分で最低限度のことを日本語を交えながらやってみたのが今日の動画。

 コンパクトに、やる気を持たせられるような、学びたいことが詰まっている授業動画をもう少し研究してみたい。

犬や猫にも血液型があり、献血することが可能であることが分かりました~実践ビジネス英語の「Pets Giving Blood(ペットの献血)」を2週間聴いて~

実践ビジネス英語の今年度の最初のテーマが、「ペットの献血」だった。犬や猫にも血液型があり、献血ができるのを初めて知った。さらに、血液銀行では、需要に見合う供給がなく、ペットクリニックで行われる手術が増えてきていることが要因であり、ペットを家族の一員としてみなす家庭が増えてきていることがわかる。


 内容は、次の通り。
 献血犬は今、ちょっとしたブームになっており、ペットの犬や猫が事故に合って手術をしなければならない場合には、輸血が必要になってきます。ペットの献血のためのインフラは、人間の献血制度ほどにはまだまだ整備も普及も進んでいないのが現状である。
猫や犬にも血液型があり、猫には3種類、犬には10数種類もあるが、自分の犬をドナーにさせようと思っている場合、その犬の血液型が分からなくも獣医が血液型の判定と血液検査をしてくれる。
 

 cats have three blood types and dogs have a lot more – a dozen or so. 
That’s when I found out that dogs can donate blood as well. It sounds obvious whe nyou think about it, but if your cat or dog has an accident and needs surgery, a blood transfusion may be necessary.
 

 ペットの血液銀行の数は需要に見合っていない。血液の供給が需要を満たしていない場合が多い。そうした不測の一つの大きな理由は、動物クリニックや動物病院が行う治療が増えていることである。

 But generally speaking, the infrastructure for pet blood donation isn’t nearly as developed and widespread as the human version.
The problem is that there simply aren’t enough pet blood banks to match demand.
One big reason is that veterinary clinics and hospitals are performing more treatments.

 The ideal donor is between 1 and 5 years of age, and in good physical condition.
 

 理想的なドナーは1歳から5歳で、健康であることが条件です。
 

 A complete blood test is fairly costly, but owners who donate their pet’s blood usually get some free services, such as tick prevention medication for free. In addition to dog biscuits, some donors receive a plaque of appreciation from the vet. 
 

 完璧な血液検査はかなり高価ですが、ペットに献血させる飼い主は、無料のダニ予防薬など、何らかの無料サービスを受けることができます。さらに、獣医から、犬用のビスケットに加えて、感謝の銘板をもらうドナーもいるようです。

 euthanasia is the absolute last resort for pets. They have such a close bond with their pets.many studies have identified clear health benefits from having a pet.
安楽死は最後の選択肢のようです。飼い主はペットと非常に強いきずなで結ばれています。多くの研究によって、「ペットを飼うことは間違いなく健康にいい」ことが明らかになったのを、私たちは心に留めておくべきです。

悪いことを考えすぎて堂々巡りするくらいなら、今の生活を大切にしてやるべきことをやる〜「考えすぎない」(本田時生)を読んで〜

人から心ないことを言われたり、上から目線で接しられたり、きつく言われたり、それに傷ついてしまう自分がいる。起こる可能性の少ないことや過去にあったことについて、あたまのなかでどうどうめぐりしてしまうことがよくある。

「こういうこともある」「こういう人もいる」と軽く受け流したり、「今はこんなことを考えるのはやめよう」「今できることを全力でやろう」と考え方を変えることが大切であることがわかった。

「考えすぎない」ということは、「必要以上に考えない」ということ。「考えない」ということは、「そのことを考える代わりに、他のことをする」ということ。望ましいのは、自分が幸せになれることをすること。

自分の考えすぎに気づいた時に、「こんなことを考えるより、〇〇をしよう」「嫌な人のことを考えるより、好きな人のことを考えよう」と考える。

気分転換のために、幸せになれることをする

悩む暇があったら、自分の夢や目標を実現するために時間とエネルギーを使うこと。

「考えすぎない」ということは「時間を大切にする」こと。

「考えすぎないようにして、その分、幸せになれることをやろう」

「楽しいから笑うのではなく、笑うから楽しい」のだということがわかりました〜「人生うまくいく人の感情リセット術」(樺沢紫苑著)を読んで

ネガティブに考えてしまうところがあり、夜中に目覚めて無限ループに陥ることがたまにある。どういう心持ちで行けばいいのか、なかなかわからないし、毎回同じ状態になってしまう。考え方と感じ方をいったんリセットすれば、うまくいくようになりそうだ。

「ワクワクする」というポジテイブな言葉を発すると、脳のパフォーマンスが上がり、行動もそれに伴っていく。「できなかったらどうしよう」という不安がたとえあったとしても、「ワクワクする」と言っておいたほうがパフォーマンスの質は向上する。

「どん底」=貴重な時間 と考えた方がいい。この経験を糧にして新しい自分を作り上げていく。

「先のことは考えるな。今にフォーカスしろ!」無駄な動き、くどくど考えて無限ループに陥る、は止める。「今どうするかだけ考えて、不安や焦りと言った感情をリセットする。」

【ヘルパーズハイ】自分のためではなく、ボランティア活動など、みんなのためにがんばると、その状態になり、エンドルフィン(ドパミンの20倍の幸福物質)が分泌され、健康的で長生きする。

苦手な人と付き合わなければならない時、「人を変える努力はムダ、人間関係を変える努力をする。」具体的には、「人間関係を変える第1歩は、相手を肯定すること」まず相手を1人の人間として肯定することから始めないと、建設的なコミュニケーションはスタートしない。決して、苦手な人に「マイナスのラベリング」をしないこと。よく話して見ないとその人のことはよくわからない。もっと付き合ってから判断しよう。「『相性』とはしょせん先入観。」

本能的に、「嫌」「嫌い」と感じる人は、自分と似たもの同士。自分の悪い面を認めたくないときに、ほかの人にその悪い面を投影して押し付けてしまうような心の動きが生まれてしまう。たしかにそうかもしれない。苦手な人のことをもっと観察してみようという気になる。

人間の印象は初対面の時に90%決定し、後からその印象を帰るのは非常に難しい。「初頭効果」

嫌いな人の悪口は言わない方がいい。それで、きらいの感情を増幅してしまう。その悪口は全て自分に返ってくる。かげ口は止めて、「かげほめ」をするといい。嫌いな人を褒めると、面白いほど、人間関係が改善する。

「返報性の法則」とは、人から親切にされると、何かその人にお返しをしたくなること。「好意の返報性」とも言う。しかし、これは「悪意」にも当てはまるので注意。

人と良好な関係を築くには、コミュニケーションの量を増やすこと。「挨拶」「雑談」「聞く」。「話す」と「聞く」は2:8くらいの比率が理想。自分は相槌を打ち、時々コメントを挟むくらいがいい。カウンセリングと一緒。

のれんのように話を受け止めると、話している方もふわっと優しい感覚に包まれるので、癒される。人を優しく「受け入れる」。のれんの法則で対応すると、ネガティブな感情も受け流すことができる。

私は25年くらい5行日記を書いている。日記による癒しがある。「表現による」癒しと「内省による」癒し。

「楽しいから笑うのではない、笑うから楽しいのだ。」(ウィリアムジェームズ精神科医)「感情」よりも「行動」が先に生じる。従って、笑うと楽しくなるというベクトルができる。

笑う、人の悪口は言わない、人を褒める、無限ループに入ったら別のことに没頭する、人に親切にする、話す聞くは2:8

授業で使用するワークシートを作成するには、ワクワクさせるような内容を入れると、よいことがわかりました。〜英語教育2020年4月号〜

ワークシート作成には、7steps必要であることがわかり、そのステップがそれぞれとても大切であることがわかった。

1 自然な英語になっているか 2 レベルは適切か 3 感情を突き動かすものになっているか 4 思考を働かせるものになっているか 5 気付きを促しているか 6 やりとりする作りになっているか 7 内容と文法のバランスはよいか

1に関しては、どうしても作成者の英語教諭のオリジナルの文になってしまい、自然な英語とは程遠くなってしまうことがある。ALTなどのネイティブに聞ければいいのだが、なかなかその機会も少ないので、鈴木先生はWeb活用を推奨している。Just the word (http://www.just-the-word.com/)

サイトはとてもわかりやすく、これからも自然な表現がチェックしていけそうだ。

3に関しては、なかなか実現できない。具体的には、プリントをしながら、生徒がクスクスと笑ったり、笑顔になっているかどうか。また、反対意見を持ったり、怒りが込み上げてきたり、悲しい気持ちにな流ようなプリントにするよう工夫すること。鈴木先生曰く、「感情は、それがポジティブであれネガティブであれ、言語習得を促進させる。」ということ。努力してみる価値はある。

4に関しては、「効果的なワークシートはもっと頭を働かせる、思考力に働きかけるものである。」「書かれている内容を推測したり、知っている知識を書かれている内容と結びつけたり、」ただの穴埋めや一問一答ではそのような思考力を必要な内容にはなっていかない。なるほど。

5に関しては、気づきを促しているかどうかについてである。ターゲットへの注意を促すことから、ターゲットに下線を引いたり、ボールドにしたり、色で強調したりすることが必要である。

「ワークシート作成の7stepsー第二言語習得研究(SLA)の視点から」という宮城教育大学准教授 鈴木渉先生の記事を読んで、特に、ワクワクするような内容のワークシート作成を心がけることが大切であることがわかり、早速4月から実践してみることにする。

意思を貫くことで救われる命がある〜「1917命をかけた伝令」を観て

「もうダメだ」と思った時は、諦めることも肝心である。「やめたほうがいい。」「やっても無駄だ。」と言われたら、心折れる。「上司からの命令であったとしても、別の部隊の上司から命令を受けたら、それに従わざるを得ないと考えてしまう。」どんなことがあっても、自分の意思を貫くことでたくさんの兵隊の命を救うことができた。自分の意思をどうしても貫かなければならない時が一生に一回はある。

監督サム・メンデスが、第1次世界大戦を舞台に描く戦争ドラマ。若きイギリス兵のスコフィールドとブレイクの2人が、兄を含めた最前線にいる仲間1600人の命を救うべく、重要な命令を一刻も早く伝達するため、さまざまな危険が待ち受ける敵陣に身を投じて駆け抜けていく姿を、描いている。1917年4月、フランスの西部戦線では防衛線を挟んでドイツ軍と連合国軍のにらみ合いが続き、消耗戦を繰り返していた。そんな中、若きイギリス兵のスコフィールドとブレイクは、撤退したドイツ軍を追撃中のマッケンジー大佐の部隊に重要なメッセージを届ける任務を与えられる。戦場を駆け抜ける2人の英国兵をジョージ・マッケイ、ディーン・チャールズ=チャップマンという俳優が演じている。(映画.comより抜粋、改編)

全編カメラ1台のワンカットで撮影されているという触れ込みであるが、CGなどで場面転換がされるところでは、いったん場面がカットされているようだ。しかし、ワンカットで撮られているシーンもかなり多くあり、そのシーンはかなり緊張があるストーリーが展開されている。カット割がされていないのに、次のシーンへ吸い込まれていくようにストーリーは移っていく。シーンとシーンのつなぎ目の違和感は全くなく、荒々しいところから静寂した美しいシーンへと動いていくところは見事である。

途中まではストーリーをブレイクが引っ張っていったので、彼が主役だと勘違いしてしまった自分がいた。しかし、途中で絶命し、そこからはスコフィールドが伝令を伝えるために危険な場所を疾走する。戦場で共に命をかけて戦っている兄弟や戦火のなか誕生したい小さな命を必死で守る母親。瀕死でも愛国心から敵兵に抗う兵士。野営場でも常に命を落としかねない状況で過ごす兵士たち。

殺さなければ殺される、そんな緊迫したシーンが随所にあり、戦争の恐ろしさが醜く描かれており、一方で命の大切さ、尊さを丁寧に描いている。

「意思決定」が滞るのは縦社会や官僚制度が邪魔している。大きな事故の裏ではこんなことが起こっていた〜「Fukushima 50」を観て〜

生死がかかっているような状況で、現場で起こっていることに即座に対処できないのは、「意思決定」に時間がかかるからであるということがよくわかった。当時英字新聞では、“FUKUSHIMA Triple Disaster”という言葉がよく書かれていた。「地震、津波、メルトダウンの3つの災害に福島が襲われている。」という意味である。メルトダウン(炉心溶融)に関しては、アメリカの新聞は早くから「起こっている」と書かれていたにもかかわらず、日本のメディアは一切認めようとしなかった。報道統制がしかれていた。同じように、現場での生死をかけた原発を救うための作業は、東電本社や政府の意向で適切に行われなかったことが映画を見ているとよくわかる。「シンゴジラ」でも同じようなシーンがある。現場での意向を無視して、全く状況を分かっていない上層部が、自国や他国への体面を繕うためだけに、間違った判断をしてしまっていた。

2011年3月11日に発生した東日本大震災に伴う福島第一原子力発電所の事故で、東電社員の佐藤浩市扮する伊崎利夫と発電所所長の渡辺謙扮する吉田昌郎たちが、現場に留まり奮闘し続けた人々の知られざる姿を描いた物語である。海外メディアが「生死をかけて発電所を未曾有の事故から守った50人の作業員を「Fukushima 50」と呼んでいた。2011年3月11日午後2時46分、マグニチュード9.0、最大震度7という日本の観測史上最大となる地震が起こり、太平洋沿岸に押し寄せた巨大津波に飲み込まれた福島第一原発は全電源を喪失する。このままでは原子炉の冷却装置が動かず、炉心溶融(メルトダウン)によって想像を絶する被害がもたらされることは明らかで、それを防ごうと、伊崎利夫をはじめとする現場作業員や所長の吉田昌郎らは奔走する。

これ以上作業を続ければ、放射線を体に浴びる容量が超えてしまい、死に至るかもしれないというケースにおいても、作業に出かけるメンバーに手を挙げる作業員が少ない。一方で、家族もいるし自分のためにも発電所から早く退去したいと申し出る作業員たちもいる。「私ならどうするか」自分に投影して考えてしまう。「一生懸命」という言葉の成り立ちを考えざるを得なかった。

イオンシネマの「ワタシアター」の会員になっている。400円の会費で、毎月1本映画が1200円で観れる。使わなかったら、翌月に繰り越しができる。さらに、試写会のお知らせがメールで送られてきて、応募すると抽選で公開前に無料招待される。私はそれに当選して、3月6日公開のところ、2月18日に観に行くことができた。映画好きのM r. Tだけでなく、皆さんにおすすめの映画である。

OVER the RAINBOWの聞き方が少し変わりました。〜映画「JUDY 虹の彼方に」を観て〜

Somewhere over the rainbow Way up high There‘s a land that I heard of Once in a lullaby

「どこか虹の彼方に ずっと高く登ったら 素敵な場所があると いつか子守唄で聞いた。」

きっと主人公のJudyはいつか自分がなんの苦労もせずになんの気兼ねもせずに、好きな人たちと好きなことをしながら、心安らかに、暮らせる場所があると信じて、2歳からやらされていた芸能生活を続けていたに違いない。その夢も叶うことなく47歳の生涯を閉じてしまった。

これは、1922年から1969年まで47年を全速力で駆け抜けたJudy Garlandという20世紀を代表するアメリカ人の歌手の物語(実話)である。

幼少の頃から歌手として第一線で活躍し、富と名声を手に入れるも、4人の男性と結婚離婚を繰り返し、子供を3人もうけるが、一緒に生活したいと希望してもそれもままならない。酒と薬に溺れる毎日。再起をかけてイギリスで公演を打つも、成功を収めることはできなかった。アメリカとイギリスで離れ離れになった子供たちと過ごすことが夢だったが、それも水泡となる。

ラスト7分でJudyが最後のステージで歌うOver the Rainbowは圧巻である。Judy役のRenee Zellwegerはこの作品でアカデミー主演女優賞を獲得している。

酒、薬、同性愛、エンターテイメントの虚構など、当時の様々な世相を反映している映画である。

お金持ちになれれば幸せになれる、と私は信じて疑わなかったが、実際はそうはならないということが嫌という程、心に叩きつけられる作品である。

Mr. Tという映画好きの友人がいる。彼の薦めでこの作品を観にいくことにした。彼は感動することがあってもほとんど泣いたことがないと常々言っているが、その彼が大号泣したと言っていたので、楽しみにしていた。私は歳をとってきたせいか、かなり涙腺が弱いので、ボロボロ泣くにちがいないと思っていた。しかし、涙は出たが、号泣するまでには至らず。別の友人も号泣したとのこと。私のポイントがずれているからなのか。