パキスタン赴任後、最初の道徳授業
イスラマバード日本人学校に赴任して、初めての道徳の授業を行いました。
対象は中学1年生。
男子1名、女子1名。
たった2人の授業です。
しかし、この2人だからこそできた、とても深い授業になりました。
そして授業後、私は思いました。
「今回も神回だったな」
と。
◆ 正直に言えなかったことはない?
導入では、生徒たちにこう尋ねました。
「本当のことを言わなければいけないと分かっているのに、言えなかったことはありますか。」
二人とも少し考え込んでいました。
すぐには答えません。
でも、
「ある。」
と、小さく答えました。
その瞬間、今日の授業はうまくいくかもしれないと思いました。
◆ 名人フランツと弟子
今回扱った教材は、中学校道徳教材の
「いつわりのバイオリン」
です。
物語の主人公フランツは、名高いバイオリン職人です。
ある日、有名な演奏家に渡すはずだった自分の作品が完成していません。
しかし、その時、弟子が作った見事なバイオリンがありました。
フランツは、その楽器が弟子の作品だと知りながら、
まるで自分が作った作品であるかのように演奏家へ渡してしまいます。
弟子は何も言わず去っていきます。
そして年月が流れます。
やがて弟子は故郷で工房を開き、一流の職人として成功します。
一方、フランツの工房は少しずつ寂れていきます。
そんなある日、フランツのもとに弟子から一通の手紙が届くのです。
そこには恨みの言葉はありませんでした。
「今の私があるのは、あの時あなたが教えてくださったおかげです。」
そう書かれていたのです。
◆ 残念だったところ、素敵だったところ
授業では本文を読む前に、
主人公の中で
- 残念だなと思うところには波線
- 素敵だなと思うところには直線
を引かせました。
二人とも一致していました。
残念だったところは、
「弟子のバイオリンを自分の作品だと偽って渡したところ」
でした。
やはりそこは許せない。
誠実さを失った場面だと感じたようです。
一方、素敵だと思った場面は、
弟子からの手紙を読んだ後、
フランツが深く反省し、ペンを取ろうとする場面でした。
過ちを認めようとする姿。
そこに人間らしさを感じたようでした。
◆ フランツはなぜ偽ったのか
最初の発問です。
「フランツは、いけないとわかっていながら、弟子の作品渡してしまったときの気持ちはどうだったのだろう。」
男子生徒は言いました。
「有名になりたかったから。」
とても素直な答えです。
女子生徒は少し違いました。
「間に合わなかったから仕方なかったのかもしれない。」
さらに、
「弟子の作品が有名になればいいと思っていたかもしれない。」
とも話しました。
同じ場面を見ても見え方は違う。
2人しかいない授業だからこそ、その違いがよく見えました。
◆ 後悔の気持ち
次に聞きました。
「弟子が何も言わず去っていったとき、フランツはどんな気持ちだっただろう。」
すると、
「しまった。」
「取り返しがつかない。」
「謝りたい。」
という言葉が出てきました。
過ちは誰にでもあります。
しかし、本当に苦しいのは、
その過ちに気づいた後なのかもしれません。
◆ あなたなら何と書く?
授業の最後。
私はこう問いかけました。
「もしあなたがフランツなら、弟子にどんな手紙を書きますか。」
男子生徒は言いました。
「本当に申し訳なかった。」
「今頑張っていると聞いてうれしい。」
「これからも頑張ってほしい。」
「あの時のことは忘れない。」
謝罪と激励が込められていました。
女子生徒は、
「有名になったんだね。」
「ありがとう。」
と答えました。
恨みを超えた弟子への感謝を感じ取っていたのでしょう。
◆ 道徳の授業とは
授業後、参観していた先生から
「しぶい。」
と言っていただきました。
うれしかったです。
でも、それ以上にうれしかったのは、
二人が真剣に考えていたことでした。
正直であること。
誠実であること。
そして、
間違えたときにそれを認めること。
人は完璧ではありません。
だからこそ、
過ちの後にどう生きるかが大切なのだと思います。
◆ パキスタンでの最初の道徳授業
赴任して初めての道徳授業。
生徒はたった2人。
しかし、
人数の多さでは測れない学びがありました。
フランツの後悔。
弟子の寛容さ。
そして、人としての誠実さ。
それらを二人と一緒に考えることができました。
教師になって37年。
日本でも、海外でも、
やはり私は道徳の授業が好きなのだと思います。
今回もまた、
私にとっては
「神回中の神回」
次はどんな物語が、生徒たちの心を揺さぶるのでしょうか。私は今から楽しみです。
