「風評被害」を指導して

新編「新しい道徳」1年生(東京書籍)、2026年9月25日(金)

―「みんなが言っている」ではなく、自分の目で相手を見る―

4人による合同道徳です。

教材は、東京書籍『新編 新しい道徳1』の「風評被害」。教科書に示されているテーマは、

「相手を認めるには」

です。

中学1年生用の教材ですが、「うわさ」「思い込み」「仲間外れ」「周囲に流されること」という問題は、小学生にとっても決して遠いものではありません。

むしろ、小2から中1までの4人が同じ教材について考えることで、それぞれの発達段階から違った言葉が出てきました。

今回も、黒板いっぱいに4人の考えが広がっていく授業になりました。

「うわさを信じたことは?」

授業のスタートは、板書にも残っているこの問いです。

「うわさを信じたことは?」

「いじめはいけない」というところから始めるのではなく、まずは自分自身に引き寄せます。

自分で確かめたわけではない。

実際に見たわけでもない。

それでも、

「○○らしいよ」

「みんなが言っているよ」

と聞くと、いつの間にか信じてしまうことがあります。

では、それが誰かについての「うわさ」だったらどうでしょう。

そんなところから、教材「風評被害」に入っていきました。

「残念だな」「いいな」と思うところを探しながら

今回も、教材を読むときには、いつものように二つの視点を与えました。

「残念だなと思うところ」

そして、

「いいな、素敵だなと思うところ」

です。

私は道徳で、最初から登場人物を「正しい人」「間違っている人」と分けて読ませたくありません。

人には弱いところもある。

一方で、その弱さに気づき、変わろうとするところもある。

その両方を見つけながら読むことで、登場人物を通して自分自身を見ることができると考えているからです。

教材では、一人の女子生徒が周囲から距離を置かれています。

板書にも、

「何かキモイ」

という、周囲の言葉を取り上げました。

でも、それは本当に自分でその子と関わったうえでの判断なのでしょうか。

それとも、誰かが言ったことに周囲が同調しているだけなのでしょうか。

「私が一人でいたら……」

私は、一人になっている子の姿を見ながら問いかけました。

「この子のことを、どう思っているのだろう。」

そして話し合う中で、黒板に残った言葉の一つが、

「私が一人でいたら……」

でした。

私は、この言葉がとても印象に残りました。

「あの子、かわいそう。」

と外から眺めるだけではありません。

「もし、そこにいるのが自分だったら?」

と、自分と相手を入れ替えて考え始めているからです。

一人で食事をする。

誰も声をかけてくれない。

自分について何か言われている。

それが自分だったら、どう感じるだろう。

小学2年生にも中学1年生にも考えることのできる問いです。

学年は違っても、「一人になったときの寂しさ」は想像することができます。

分かっているのに、なぜ動けないのだろう

一方、主人公は相手を心から嫌っているわけではありません。

それでも、なかなか声をかけられません。

ここで考えたいのが、人間の弱さです。

「仲間外れはよくない。」

「一人でいる子がいたら声をかけた方がいい。」

それは、みんな分かっています。

でも、自分だけが周囲と違う行動を取るとなると、急に難しくなる。

自分まで何か言われるかもしれない。

周りからどう思われるだろう。

そう考えると、動けなくなってしまう。

「正しいことを知っている」ことと、「正しいと思ったことを実際に行う」ことの間には距離があります。

道徳で考えたいのは、まさにその部分だと思います。

「私、これと同じことしてる」

教材の中で、主人公の考えが大きく変わる場面があります。

家でニュースを見たときです。

農作物の「風評被害」についてのニュースです。

安全性についての検査結果が出ている。

それでも、イメージや不安によって商品が避けられてしまう。

そのニュースを見ながら、主人公は、自分が友達にしていたことと重ね合わせます。

ここで私は、

「風評被害と同じことをしている自分に気づいたときの「私」の気持ちは?」

と問いかけました。

板書に残ったのが、

「確かめる」

そして、

「反省している」

という言葉です。

ここは今回の授業の大きなポイントだったと思います。

誰かから聞いた。

みんながそう言っている。

だから自分もそう思った。

でも、

「自分は本当に確かめたの?」

と問い返してみる。

主人公は、初めて周囲ではなく、自分自身の行動を見つめたのだと思います。

黒板を見ると、授業のスタートである「うわさを信じたことは?」から、教材を読みながら考えたこと、そして「確かめる」「反省している」「一緒に食べない?」へと、4人の思考がつながっていったことが分かります。

何より、教師が最初から書こうと決めていた言葉ではなく、4人とのやり取りの中から生まれた言葉が黒板に増えていったことが、今回の板書のよさだと思っています。

「一緒に食べない?」

そして翌日。

主人公は、一人でいる子に声をかけます。

板書にも大きく残った言葉です。

「一緒に食べない?」

本当に短い一言です。

私はここで、

「キモいと言ったり、うわさを流していたにもかかわらず、「私」が声をかけたときの気持ちは?」

を考えてもらいました。

そこで出てきた考えの一つが、

「自分の中で、楽しそうじゃないな。」

というものでした。

これも面白い考えです。

周りに合わせていれば、自分は標的にならないかもしれない。

自分だけ違う行動をしなくても済む。

でも、自分が本当はよくないと思っていることを続けることは、果たして自分自身にとって気持ちのいいことなのか。

周囲に合わせているだけの自分も、決して楽しくない。

そんなところまで考えが広がっていきました。

「どうしたらよかったか分からない。でも……」

もう一つ、板書に残った言葉があります。

「私もどうしたらよかったか分からず誘った。」

という趣旨の意見です。

私は、この言葉もいいなと思いました。

主人公は、すべての解決方法を知っていたから動いたわけではありません。

声をかければ、その後どうなるのか。

周囲はどう反応するのか。

自分まで何か言われるのではないか。

分からないことはたくさんあります。

それでも、

「このままではいけない。」

と思った。

だから、

「一緒に食べない?」

と声をかけた。

正解が分かるまで待つのではなく、

分からなくても、自分にできる一歩を踏み出す。

ここは、この教材から4人が考えることのできた大切な部分だったと思います。

小2から中1まで――異学年だから面白い

今回、特に感じたのは、異学年で道徳をする面白さでした。

小学2年生、3年生、4年生、中学1年生。

当然、同じ教材を読んでも感じ方は違います。

言葉の使い方も違います。

経験も違います。

しかし、道徳では、それがむしろ面白い。

年下の子の素朴な一言に、上級生が「ああ、そういう考え方もあるのか」と気づくことがあります。

逆に、上級生が言葉にした考えを聞いて、下級生の考えが広がることもあります。

4人しかいないのではなく、4人だからこそ、一人一人の言葉をしっかり聞くことができる。

そして、その4人の言葉をつなぎながら授業をつくることができる。

イスラマバード日本人学校のような小規模校だからこそできる道徳の形なのだと思います。

「みんなが言っている」から離れる

今回の「風評被害」で考えたことは、

「うわさを信じてはいけません。」

だけではありません。

もっと大切なのは、

自分で確かめようとすること。

「あの子って○○らしいよ。」

そう聞いたとき、

「そうなんだ。」

で終わるのではなく、

「自分はその人と本当に話したのか?」

「自分の目で見たのか?」

と立ち止まる。

これは、SNSなどを通して情報が簡単に広がる今だからこそ、大切な力だと思います。

そしてもう一つ。

おかしいと思ったときに、周囲に合わせるだけではなく、

「自分はどうする?」

と考えることです。

「一緒に食べない?」と言える人に

今回の授業で、私が一番心に残った言葉を一つ選ぶとすれば、

やはり、

「一緒に食べない?」

です。

いじめをなくすために、いつも大きなことをしなければならないわけではありません。

一人でいる子の横に行く。

「大丈夫?」と声をかける。

「一緒にやろう」と言う。

そんな小さな一言が、誰かにとっては、とても大きな一言になることがあります。

小学2年生でもできます。

中学生でもできます。

むしろ、年齢は関係ありません。

黒板いっぱいに残った4人の学び

授業の最後、黒板を改めて見ました。

そこには、

「私が一人でいたら」

「確かめる」

「反省している」

「一緒に食べない?」

「自分の中で楽しそうじゃないな」

「どうしたらよかったか分からず誘った」

と、4人が考えた言葉が残っていました。

どれも、教師が最初から用意していた「模範解答」ではありません。

教材を読み、友達の考えを聞き、自分だったらどうするのかを考えながら生まれた言葉です。

「いじめはいけない。」

「うわさを信じてはいけない。」

そこだけで終わらせない。

分かっている。でも、自分がその場にいたら本当に行動できるだろうか。

そして、

「これからの自分なら、どうする?」

と自分自身に問い返す。

これが、私が道徳の授業で大切にしたいことです。

最後に同僚の先生とロールプレイをしました。やはり小学生の反応はいまひとつ。「何であんなキモい人に声をかけるの?」に対して、真っ向から、「そんなことを言ってはおけないよ。」と、正義のヒーローになっていました。

今回の「風評被害」は、小学部2・3・4年生と中学部1年生という異学年の4人で学んだからこそ、さまざまな言葉が生まれました。

学年を越えて互いの考えを聞き、自分の考えを少し広げる。

そして最後には、自分の生き方へ戻ってくる。

今回もまた、4人と一緒につくる、とてもいい道徳の時間になりました。

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