「意思決定」が滞るのは縦社会や官僚制度が邪魔している。大きな事故の裏ではこんなことが起こっていた〜「Fukushima 50」を観て〜

生死がかかっているような状況で、現場で起こっていることに即座に対処できないのは、「意思決定」に時間がかかるからであるということがよくわかった。当時英字新聞では、“FUKUSHIMA Triple Disaster”という言葉がよく書かれていた。「地震、津波、メルトダウンの3つの災害に福島が襲われている。」という意味である。メルトダウン(炉心溶融)に関しては、アメリカの新聞は早くから「起こっている」と書かれていたにもかかわらず、日本のメディアは一切認めようとしなかった。報道統制がしかれていた。同じように、現場での生死をかけた原発を救うための作業は、東電本社や政府の意向で適切に行われなかったことが映画を見ているとよくわかる。「シンゴジラ」でも同じようなシーンがある。現場での意向を無視して、全く状況を分かっていない上層部が、自国や他国への体面を繕うためだけに、間違った判断をしてしまっていた。

2011年3月11日に発生した東日本大震災に伴う福島第一原子力発電所の事故で、東電社員の佐藤浩市扮する伊崎利夫と発電所所長の渡辺謙扮する吉田昌郎たちが、現場に留まり奮闘し続けた人々の知られざる姿を描いた物語である。海外メディアが「生死をかけて発電所を未曾有の事故から守った50人の作業員を「Fukushima 50」と呼んでいた。2011年3月11日午後2時46分、マグニチュード9.0、最大震度7という日本の観測史上最大となる地震が起こり、太平洋沿岸に押し寄せた巨大津波に飲み込まれた福島第一原発は全電源を喪失する。このままでは原子炉の冷却装置が動かず、炉心溶融(メルトダウン)によって想像を絶する被害がもたらされることは明らかで、それを防ごうと、伊崎利夫をはじめとする現場作業員や所長の吉田昌郎らは奔走する。

これ以上作業を続ければ、放射線を体に浴びる容量が超えてしまい、死に至るかもしれないというケースにおいても、作業に出かけるメンバーに手を挙げる作業員が少ない。一方で、家族もいるし自分のためにも発電所から早く退去したいと申し出る作業員たちもいる。「私ならどうするか」自分に投影して考えてしまう。「一生懸命」という言葉の成り立ちを考えざるを得なかった。

イオンシネマの「ワタシアター」の会員になっている。400円の会費で、毎月1本映画が1200円で観れる。使わなかったら、翌月に繰り越しができる。さらに、試写会のお知らせがメールで送られてきて、応募すると抽選で公開前に無料招待される。私はそれに当選して、3月6日公開のところ、2月18日に観に行くことができた。映画好きのM r. Tだけでなく、皆さんにおすすめの映画である。

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